髙宮正貴氏は、デューイの道徳観をもとに「人が『所有するもの』だけではなく、人が『なるもの』、つまり『性格』に注目すべき」として、「性格(character)」に注目して発問を考えることが必要だと提唱しています。「性格」を問うことで、たんに「行為」の解決策を考えるのではなく、「その行為をとおして、あなた自身はどんな人になりたいか」を考えさせることができるということです。
(髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』より)
例えば手品師の授業では、「手品師はどうなるか」「少年はどうなるか」という短期的利益を考えさせるのではなく、「性格の長期的な利益」を問うことで、「誠実」な性格であることの社会的な利益を問うことができると髙宮氏は述べています。
従来の心情型授業では、手品師はどちらに行くべきかの選択・議論をさせるけれど、子供たちが納得できる『解』を見付けられなかったり、道徳性の『自覚』が十分にされないまま授業が終わることが多かったのではないでしょうか。
学習移動要領解説においても「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、自立した個人として、また、国家・社会の形成者としてよりよく生きるために道徳的価値に向き合い、いかに生きるべきがを自ら考え続ける姿勢こそ道徳教育に求めるもの」とあります。道徳性の自覚の先には『社会の形成者としてよりよく生きる」という未来があるのであれば、道徳科授業においても『よりよい社会』(性格の長期的な利益)を意識させていく必要があると考えられます。
「少年のところに行く手品師」と「大きな舞台に行く手品師」、どちらの人がたくさんいたら社会はよりよくなるでしょうか。では、社会が求めている『社会』とは、どのようなものなのでしょうか。そのようなことを道徳科授業で考えさせていくことが、子供たちの道徳性の『自覚』につながっていくのでしょう。
《参考引用文献》
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(北大路書房,2020)
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