道徳科授業においては「3つの理解」が大切だとされています。価値理解・人間理解・他者理解です。そのうちの「人間理解」について本日は述べていきます。
「人間理解」とは、「価値の善さを理解していても、それを実行できない人間としての弱さを理解すること」になります。このことは、我々の日々の生活の中でよく実感していることです。「意見を発言した方がいいことは分かっているけれど」という場面を想像すると、人間(いわゆる自分)の弱さを実感するとともに、行為を実行できない要因を自然と考えるのではないでしょうか。
このように、「弱さの実感」と「行為を実行できない要因」を考えさせることが、道徳科授業での「人間理解」になるといえます。
さて、髙宮正貴氏は、著書の中で「人間理解の重要性」について以下のように述べています。(以下、著書より抜粋。表は筆者作成)
(以上)
「裁く道徳を回避する」という点について、私は「なるほど」と思いました。髙宮氏の書籍を読んでいて、新たな視点を得ることができた瞬間でした。経験を整理できたという方が妥当かもしれません。
教材には「弱いぼく」や「悪いあの子」が出てきます。学級の中には教材の外から物語を読もうとする子がいます。高学年になれば、その傾向は強いかもしれません。そうなると、どうしても「こんな行動はおかしい」「間違っている」という発言を簡単にしてしまいます。そして、自分は正義となり、教材の人物を裁くことに気持ち良さを感じるようになります。
その子たちの発言は、決して間違いではありません。むしろ、正しいことを言っています。しかし、どこか無責任であり、学びの深まりを感じることのできない発言になっています。本人達に自覚はないけれど、まるでインターネット上での批判のようなものになっているのです。
そこで重要になるのが「人間理解」だと髙宮氏は述べています。「自分の弱さ」を自覚するということ、いわゆる「自分も同じようにしてしまうかも」「同じような経験があった」と自己を見つめさせることで、そのような「悪人探し」や「裁く道徳」を回避し、悪や不正に立ち向かうための心を考えさせることができるということです。
このような道徳科授業の本質を授業者が理解をしておくと、発問や展開を考える際の「重み」が変わってくるのではないでしょうか。
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(北大路書房,2020)
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