先日、道徳は「事実的知識」と「原則の知識」によって構造されているという、村井実の論を紹介しました。「原則の知識」をもつということについて、下図で再度説明します。
①の行為の原則を知るということは、道徳的諸価値の理解だと言えます。従来の道徳授業は、この理解で終わることが多くありました。②は、価値理解をもとに、多面的・多角的に思考することになります。そして、③はいわゆる納得解をもつということになりそうです。
《引用参考文献》
村井実『道徳は教えられるか』(1967,国土社)
先日、道徳は「事実的知識」と「原則の知識」によって構造されているという、村井実の論を紹介しました。「原則の知識」をもつということについて、下図で再度説明します。
①の行為の原則を知るということは、道徳的諸価値の理解だと言えます。従来の道徳授業は、この理解で終わることが多くありました。②は、価値理解をもとに、多面的・多角的に思考することになります。そして、③はいわゆる納得解をもつということになりそうです。
《引用参考文献》
村井実『道徳は教えられるか』(1967,国土社)
村井実は、道徳の構造を下図のように説明しています。
「原則の知識」とは、道徳的諸価値の理解について多面的・多角的に思考する力のことではないかと考えます。
《引用参考文献》
村井実『道徳は教えられるか』(1967,国土社)