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2023/12/07

道徳科授業の発問研究(9)〜1年生「かずやくんのなみだ」〜


 内容項目C「公正、公平、社会正義」の小学校1年生教材、「かずやくんのなみだ」の「発問」について考える。解説には、低学年の特徴として、「多数ではない立場や意見に対し偏った見方をする」「人も自分も同じ感じ方や考え方であると考える」ということが書かれている。

 本教材は、「ぼく」や「さとし」を含む学級のみんなが、「かずや」を鬼ごっこに誘っていない。走るのが遅いという偏った見方が原因で「かずや」は仲間はずれにされている。

 内容項目Cは、集団や社会との関わりについて考えることが求められる。そこで、本教材でも、「ぼく」と「さとし」以外の「みんな」を登場させる。例えば、ぼくが気づかないふりをしている場面で、「みんなも同じようにしているのだから、正しいことだよね?」と尋ねるだけで、「おかしい」という意見が引き出せる。「みんなが言っていても、間違えていることがあるの?」と、さらに問い返すことで、多数がいつも正しい訳ではないことに気づかせることができる。

 また、解説の中には、「偏見や差別が背景にある言動については、毅然として是正することが必要である。」「公正、公平な態度に根ざした具体的な言動を取り上げて、そのよさを考えさせるようにすることが大切である。」という記述もある。

 本教材は、中心人物であるぼくの心情を考える授業が多く見られる。しかし、集団との関わり方を考えさせることが求めらる本内容項目では、それに加えてさとしの言動についても取り上げることで、日々の生活の中での不合理について考えさせることができる。

 例えば、さとしは、すぐに笑顔でかずやを受け入れたのである。「どのような、どれくらいの笑顔だったのだろうか」「その笑顔に、ぼくやかずやは何を感じたのだろうか」と、さとしの公正、公平な態度に根ざした具体的な言動のよさを問うことで、道徳的諸価値のよさを実感することにつなげられる。

2023/10/16

内容項目の特徴を考える


 1年生教材「二わのことり」と「かずやくんのなみだ」の授業づくりの相違点について考えます。 

 どちらの教材も、ひとりぼっち(「やまがら」「かずやくん」)が出てきます。中心人物の葛藤が描かれ、最終的にその子のもとへ向かいます(声をかけます)。教材の展開はよく似ていますが、内容項目は異なるので、授業づくりのポイントも異なります。

 両教材の相違点をまとめると、以下の表のようになります。

 「二わのことり」の授業では、「なぜ、他の小鳥に声をかけずに一人で出ていったのか」という疑問が浮かびますが、内容項目Bの視点を元に考えると、みそさざいとやまがらという、個と個の関係性に焦点を当てやすい展開になっているのだと分析できます。

 逆に、「かずやくんのなみだ」では、中心人物のぼくは、ひとりぼっちであるかずやくんに声をかけるのではなく、仲間はずれをしている集団の一人であるさとしくんに「入れてあげよう」と声をかけています。これは、内容項目Cの特徴である「集団を意識」に関係しているのだと推測できます。

 このように、内容項目を意識すると、展開の似た教材であっても、授業で大事にする要素が明確になるのです。

2023/10/15

小学校1年生「かずやくんのなみだ」(日本文教出版社)


 内容項目C「公正、公平、社会正義」の教材、「かずやくんのなみだ」について考えます。学習指導要領解説(P53)を読むと、低学年の「指導の要点」をもとに、例えば、以下のような補助発問が考えられます。

 本教材では、大変悲しいことに、ぼくやさとしくんを含む学級のみんなが、かずやくんを鬼ごっこに誘っていません。走るのが遅いという偏った見方が原因で、かずやくんは仲間はずれにされています。ぼくは、自分の考え方のおかしさに気づき、かずやくんを鬼ごっこに誘います。しかし、その時点では学級のみんなはそのことに反対かもしれません。

 内容項目Cでは、集団や社会との関わりについて考えることが求められます。そこで、本教材でも、ぼくとさとしくん以外の「みんな」を登場させてはいかがでしょうか。例えば、ぼくが気づかないふりをしている場面で、「みんなも同じようにしているのだから、正しいことだよね?」と尋ねるだけで、「おかしい」という意見が引き出せそうです。また、ここで「みんな」を押さえておくことで、その後のぼくやさとしくんの発言のよさを引き立たせることができます。

2023/10/14

小学校1年生「かずやくんのなみだ」(日本文教出版社)


 内容項目C「公正、公平、社会正義」の教材、「かずやくんのなみだ」について考えます。学習指導要領解説(P53)の低学年の指導の要点に、「指導に当たって」として以下の記載があります。

偏見や差別が背景にある言動については、毅然として是正することが必要である。


公正、公平な態度に根ざした具体的な言動を取り上げて、そのよさを考えさせるようにすることが大切である。

 この2つの記述に対応する言動を本文から取り上げると、以下のようにまとめることができます。


 本教材は、中心人物である「ぼく」の心情を考える授業が多くあります。それに加えてさとしくんの言動についても取り上げることで、日々の生活の中での不合理について考えさせることができます。

 また、さとしくんは、すぐに「笑顔」でかずやくんを受け入れています。どのような、どれぐらいの笑顔だったのでしょう。その笑顔に、ぼくとさとしくんは何を感じたでしょう。さとしくんの「公正、公平な態度に根ざした具体的な言動」のよさについても考え(感じ)させることで、より深い学びになるのではないでしょうか。





2021/10/28

1年生「かずやくんのなみだ」(5)


 ここまで1年生教材「かずやくんのなみだ」について述べてきました。最後に、私の感想や願いをお伝えしていこうと思います。

 この教材の中に、『かずやくんはあしがおそく、すぐにおにになってしまう。だから、だれもさそわないんだ。』(教科書から抜粋)という記載があります。この文章を読むと、私は胸が締め付けられる思いがします。もし、自分の息子が同じように仲間に入れてもらえなかったらと想像すると、とても悲しい気持ちになってしまいます。

 本教材のかずや君は、何も悪いことはしていません。ふつうに学校生活を送っているだけです。運動は少し苦手かもしれませんが、誰かに迷惑をかけているわけでもありません。誕生を祝福され、家族に愛され、健やかな成長を望まれているやさしい子だと想像します。

 そのかずや君が、足が遅いという理由で仲間に入れてもらえない。何も悪いことをしていないのに、まわりから気づかないふりをされる。見えないふりをされて、存在そのものが否定されている。「人権」を尊重しない、なんて悲しい学級なのでしょうか。

 多面的・多角的な思考を重視し、この授業ではかずや君を取り巻く人間関係や心情についても考えさせてあげてほしいと強く願います。

 ほら、かずや君の声が聞こえてきませんか。

「ぼくは何もしていないのに、なぜ仲間に入れてもらえないの?足が遅いことは悪いことなの?ぼくが入ると迷惑なの?ただ、ただ、みんなと遊びたいだけなのに。」

 この声に込められた願いは4年生教材「ヒキガエルとロバ」や中学校教材「ヨシ卜」など、様々な教材に共通している思いであり、内容項目「公正、公平、社会正義」として義務教育9年間を通して考え続ける大切な学習内容になります。

 本教材「かずやくんのなみだ」が、差別や偏見、いじめや仲間はずれの解消につながる道徳科授業の土台となること、そして今後の道徳科授業を通して「差別やいじめを許さない心」が積み上がっていくことを切に願います。

2021/10/27

1年生「かずやくんのなみだ」(4)


 1年生に「二わのことり」という定番教材があります。一人ぼっちの友達(やまがら)のところに、中心人物(みそさざい)が葛藤の末に飛んでいくというお話です。実は、「かずやくんのなみだ」とお話の流れが似ていることにお気づきでしょうか。どちらも、一人ぼっちで悲しんでいる友達のことを思って行動をするというお話です。そして、友達が嬉しくなることを通して自分も嬉しくなるという結果もよく似ています。
 しかし、一方の内容項目は「友情,信頼」であり、一方は「公正、公平、社会正義」です。では、授業でねらうべきことはどのように異なるのでしょうか。ここでは、両者の違いを表で整理してみます。

二わのことり

かずやくんのなみだ

内容項目

B 友情、信頼

C 公正、公平、社会正義

学習内容

(指導書より)

友達のことを思って、大切にすることの喜び

意地悪をされて仲間に入れないことのつらさ、悲しさ

キーワード

仲よしっていいな

仲間はずれがいないと、みんな楽しい

中心発問

(指導書より)

やまがらの涙を見て、みそさざいはどんな気持ちになったか。

かずやの涙を見て、ぼくはどんなことを考えたか。

行動の様子

うぐいすや他の小鳥に声をかけない(黙って出ていく)。

さとしに「かずや君も入れてあげよう」と声をかける。

行動の結果

やまがらとみそさざいは笑顔になるが、うぐいす達は描かれていない。

かずや・さとし・ぼくのみんながおにごっこを楽しむ様子が描かれている。

 (参考)道徳科「深い学び」のための内容項目ハンドブック(日本文教出版)


 このように整理をすると両者の違いがはっきりと見えてきます。指導書の中心発問はよく似ているように感じますが、『二わのことり』(友情、信頼)は「やまがら」と「みそさざい」という二者の関係に焦点を当てています。一方、『かずやくんのなみだ』は、「かずや」と「ぼく」だけではなく「さとし」の様子も描かれています。
 このことから、「公正、公平、社会正義」の教材である『かずやくんのなみだ」は、中心人物(ぼく)を取り巻く仲間集団に目を向けさせる必要があると言えるのではないでしょうか。なお、『二わのことり』で、みそさざい(中心人物)がうぐいすや他の小鳥に「ぼくはやまがらさんの家に行くよ」と声をかけていないことも、この「二者の関係に焦点を当てる」ということが関係しているのだと想像できます。
 また、『かずやくんの涙』では、ぼくが「かずや君も入れよう!」と声をあげて不合理(仲間はずれ)を解消しようと行動しています。差別や偏見を解消するための行動として、そのよさや難しさを子供たちに共感させたいところです。ただし、1年生の発達段階を考慮すると、その行動の理由を問うても深まらないこと(理解が難しい)が予想されるので、指導書では積極的に取り上げていないようです。
 教材の流れや結果だけを見ると、二つの教材は同じようなものに見えるかもしれません。しかし、学習内容や内容項目を考えると、その違いは明確に見えてきます。「道徳科の授業はいつも同じようなことをしている」とならないように、教材分析をしっかりとしていきたいものです。
 しかし、人権教育という観点でこの教材を扱うことを考えると、「かずや」に対する不当な扱いや、それを解消しようとした「ぼく」の行動、そして考え方を変えた「さとし」の変容は、今後の学習の土台となるものです。1年生には少し難しい内容かもしれませんが、私は授業の中でぜひ取り扱ってほしいと思っています。

2021/10/25

1年生「かずやくんのなみだ」(3)


 前回に続いて、「かずやくんのなみだ」の展開部分について考えていきます。

 かずや君の涙を見たぼく。「ぼくはどんなことに気づいたでしょう」と尋ねてみると、おそらく「かずや君もおにごっこに入れてあげないといけない」という意見が出てくるでしょう。他には、「かずや君に謝りたい」という意見なども出てくると予想できます。

 ここで最も引き出したい意見は、「足が遅いという理由で仲間に入れなかったこと」に関して反省している発言なのかもしれません。まさに、この考え方が差別・偏見の学習につながっていく「不合理」なのですから。その意見が出てきた場合は、そのおかしさに気づけた子供の視点を学級全体で共有しておきたいところです。

 なお、「もし、私(児童自身)だったら・・・」という発言が出てきた際も、この発言のよさを子供たちにきちんと伝えたいところです。道徳科のねらいにも記載されている「自己を見つめる」ということに直結する発言だからです。この発言のよさをきちんと伝え、学級で共有していく。それが「学び方を知る」ことにもつながっていきます。

 実は、道徳科授業の陥りやすい落とし穴の一つとして、この「学び方」をきちんと身に付けさせていないということがあります。道徳的な課題に対してどのように向き合えばよいのか。自分で問いを立てたり仮説を考えたりすることにどのような意味があるのか。そのようなことをきちんと積み上げてくことにより、道徳科の授業は学年が上がるにつれて深まりや広がりを見せるようになるはずです。いつまでも教師の発問を待っているだけの授業では、子供たちは「主体的に考えること」や「対話を続けること」のおもしろさを感じることができません。このあたりに「道徳科授業はおもしろい(役に立つ)」と実感させるポイントがあると、私は思っています。

 話を戻しましょう。ぼくは「かずや君も入れてあげようよ」と大きな声で言うことができました。人権教育の観点で考えると、「不合理を解消しようと行動する」ことができたぼく。この素晴らしさも子供たちにぜひ伝えたいところです。

 しかしながら、この行動のよさを1年生に伝えようとしても難しいのかもしれません、なぜなら、1年生は「結果に着目する」ことを重視する発達段階だからです。だから、この行動の結果(喜び)に着目させることを通して、ぼくのよさ(道徳的価値のよさ)を実感させることをねらいたいと思います。

 その後、かずや君も仲間に入り、みんなでおにごっこをしました。この場面で「ぼくは楽しかったのかな?」と改めて尋ねてみます。おそらく、「楽しい!」と答えるのではないでしょうか。また、かずや君についても尋ねてみると、同じように「楽しい!」と答えるでしょう。前回紹介した「楽しさレベル」がどちらも上昇していることがわかります。この上昇の結果を可視化することで、子供たちは「みんなで遊んだ方が楽しい」ということを実感することができます。

 「みんなで遊ぶ方が楽しい!」ということの実感を通して、「一人ぼっちをつくらない」などの本時のねらいについての自覚につなげていく。そのような授業構成が考えられるでしょう。

2021/10/24

1年生「かずやくんのなみだ」(2)


 前回は「かずやくんのなみだ」の導入について考えました。導入及び範読までに「おにごっこ=おもしろい」というイメージを抱かせておくことにより、かずや君が涙を流しているのはなぜかという疑問を抱かせることができます。授業のはじめに教材や道徳的価値のイメージをもたせることが重要だということです。なお、「導入に時間をかける」という意味ではありませんので、誤解の無いようお願いします。

 さて、本日は展開場面について考えていきます。中心人物のぼくはおにごっこをしています。かずや君のことが気になっていますが、気にならないふりをしているようです。

 まず、この時のぼくについて考えてみましょう。ぼくは、仲間外れになっているかずや君に気がついています。ぼくの「人権意識」は大変すばらしいですね。学級の中の不当性に気づいているからです。この点を子供たちにきちんと伝えておきたいです。なぜなら、この授業の内容項目は「公正,公平,社会正義」だからです。

 この場面の発問について、指導書では『かずや君が鬼ごっこを見ているのに気づいた時、ぼくはどんな気持ちにだったでしょう。』とあります。ぼくの自分勝手な気持ちに気づかせるねらいがあるようです。

 私はこのような発問を「どんな気持ち発問」と呼ぶことにしました。道徳科の授業でによく見かける発問ではありますが、実は大変答えにくい発問ではないかと思っています。なぜなら、「どんな気持ち?」と尋ねられたら、子供たちは「悲しい」「嬉しい」という単語だけで答えるようになってしまいます。また、その場面の過去があり、未来もあります。その過去と未来を知っている(教材を読んでいる)ことで、その流れに沿った気持ちを考えがちです。いわゆる「読み物道徳」の授業になってしまう恐れがあるのです。また、その意見に対して教師が問い返しをしても、教師が無理に意見を引き出している感じがしたり、授業のリズムが止まってしまったりするだけで、学びの深まりは感じられないでしょう。

 そこで、この場面での発問を「鬼ごっこをしていて、ぼくは楽しかったかな?」と尋ねてはどうでしょうか。「楽しかった」という子もいれば、「楽しくない」と答える子もいるでしょう。その理由を尋ねると、「だって、かずやくんが仲間に入っていないから」などが出ると予想できます。教師が「かずや君が・・・」と尋ねるのではなく、子供たちから意見を出させることができるのです。「でも、おにごっこは楽しいはずだよね?」と問い返してあげると、より「かずや君がいないことがいけない」という思いが鮮明になるでしょう。

 楽しさのレベルを10段階で考えさせたりすることも手立てとして考えられます。なぜなら、「楽しい」と答えた子の心の中にも「楽しくない」という気持ちがあることを確認させることができるからです、また、この場面で「ぼく」と「かずや」の二人の楽しさレベルを確認しておくことで、その楽しさレベルが変容する様子を視覚的に見せることも可能になります。特に、後半のみんなでおにごっこをする場面での楽しさレベルと比べさせることで、本教材のねらいに迫ることができるでしょう。

2021/10/22

1年生「かずやくんのなみだ」(1)


 「どのような道徳科授業が、いい授業ですか」と尋ねられたら、私はこの3つの要素をお伝えすることにしています。

 ①学ぶことの必然性がある(主体的)

 ②対話による集団的な高まりがある(対話的)

 ③新たな気づきや納得が得られる(深い学び)

この3つは常に意識をしていきたいものですが、それぞれについても、その性質や目的を深く考えていく必要があります。

 「学ぶことの必然性」について考えるだけでも、例えば「生活経験とのずれを起こす」「教材や発問で心をゆさぶる」「自分ごととしての葛藤や判断をさせる」など、授業づくりにおける大切な手立てが頭に浮かんできます。

 それでは、上記のことを意識して「かずやくんのなみだ」(日本文教出版)の授業づくりについて考えていこうと思います。

 まず、導入で「学びの必然性」を生むことを考えてみましょう。導入の発問で「友達と遊ぶことの楽しさ」を存分に思い出させます。教室の雰囲気も和やかな空気となるでしょう。そこで、本時の教材紹介を始めます。「このお話のぼくも、おにごっごをして楽しんでいるよ。ワクワクしているだろうね。笑顔だろうね。もう一人、お友達のかずや君もいるよ。」と紹介しながら題名を提示します。

 「かずやくんのなみだ」と書いた時、子供たちは「えっI?」という驚きを抱きます。「おにごっこ=楽しい」という話をしていたはずなのに、題名には「なみだ」という言葉があるからです。生活経験から生まれる物語と、「なみだ」という言葉のもつ物語とのずれが生じたことになります。

 ここで、子供たちの中に「あれ?おかしいぞ」「きっとかずやくんに何かがあったんだろう」「お話を早く読みたい」という意識が芽生えました。頭の中で自分なりの物語を想像している子もいるでしょう。

 実は、この「頭の中で自分なりの物語を想像する」ということが、その後の「自分ごととして考える」ための手立てにもなります。導入や範読までに、頭の中でお話を想像させる。そうすることにより、範読の際に違和感や疑問を感じることができるようになります。教材のお話だけでは比較対象がないので、1年生の児童にとって何がおかしいのか(問題発見)に気づきにくいからです。また、自分の頭の中のお話は、過去の経験を想起したり明るい未来を描いたりしやすいものです。そのイメージと教材にずれがあることで、「〜の行動はおかしいと思う」「もし私なら〜」という思考が働くことになります。

 以上、「かずやくんのなみだ」の導入例の一つを紹介しました。学びの必然性を生むための導入、ぜひ考えてみてください。