「どのような道徳科授業が、いい授業ですか」と尋ねられたら、私はこの3つの要素をお伝えすることにしています。
①学ぶことの必然性がある(主体的)
②対話による集団的な高まりがある(対話的)
③新たな気づきや納得が得られる(深い学び)
この3つは常に意識をしていきたいものですが、それぞれについても、その性質や目的を深く考えていく必要があります。
「学ぶことの必然性」について考えるだけでも、例えば「生活経験とのずれを起こす」「教材や発問で心をゆさぶる」「自分ごととしての葛藤や判断をさせる」など、授業づくりにおける大切な手立てが頭に浮かんできます。
それでは、上記のことを意識して「かずやくんのなみだ」(日本文教出版)の授業づくりについて考えていこうと思います。
まず、導入で「学びの必然性」を生むことを考えてみましょう。導入の発問で「友達と遊ぶことの楽しさ」を存分に思い出させます。教室の雰囲気も和やかな空気となるでしょう。そこで、本時の教材紹介を始めます。「このお話のぼくも、おにごっごをして楽しんでいるよ。ワクワクしているだろうね。笑顔だろうね。もう一人、お友達のかずや君もいるよ。」と紹介しながら題名を提示します。
「かずやくんのなみだ」と書いた時、子供たちは「えっI?」という驚きを抱きます。「おにごっこ=楽しい」という話をしていたはずなのに、題名には「なみだ」という言葉があるからです。生活経験から生まれる物語と、「なみだ」という言葉のもつ物語とのずれが生じたことになります。
ここで、子供たちの中に「あれ?おかしいぞ」「きっとかずやくんに何かがあったんだろう」「お話を早く読みたい」という意識が芽生えました。頭の中で自分なりの物語を想像している子もいるでしょう。
実は、この「頭の中で自分なりの物語を想像する」ということが、その後の「自分ごととして考える」ための手立てにもなります。導入や範読までに、頭の中でお話を想像させる。そうすることにより、範読の際に違和感や疑問を感じることができるようになります。教材のお話だけでは比較対象がないので、1年生の児童にとって何がおかしいのか(問題発見)に気づきにくいからです。また、自分の頭の中のお話は、過去の経験を想起したり明るい未来を描いたりしやすいものです。そのイメージと教材にずれがあることで、「〜の行動はおかしいと思う」「もし私なら〜」という思考が働くことになります。
以上、「かずやくんのなみだ」の導入例の一つを紹介しました。学びの必然性を生むための導入、ぜひ考えてみてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿