劇作家の平田オリザ氏は、『対話』には4つの認識が必要だと述べています。
(1)私とあなたは違うということ
(2)私とあなたは違う言葉を話しているということ
(3)私はあなたがわからないということ
(4)私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないということ
この「4つの認識」は、『対話』をする際の立ち位置についてとてもシンプルに表現しています。
教師と子供たちとの対話について考えてみましょう。もし、「教師は答えを持っている唯一の存在である」という認識を持っているのなら、その認識はすぐに手放してください。
教師は、目の前の子供たちのことを「何も知らない」という存在なのです。子供たちの生きる世界について『無知」であることを認め、子供たちの発言を聴くことに力を注ぐべきなのです。
道徳科授業を考える際、教師は子供たちの発言(思考)を事細かに想像することが必須です。教室の「あの子」を頭に思い浮かべ、「あの子」はどのような発言をするだろうか、問い返しをどうするかなど、事前にできる限りのイメージをします。
それは、教師に都合のよい意見ばかりを想像するのではなく、子供たちの本音を想像するということです。「Aさんはこの意見に反対するだろうな」「この発問ではBさんは興味を抱かないだろう。どんな発問がいいかな」など、目の前の子供たちの本音を想像するのです。
しかし、実際の授業では教師の想像を超える発言が出てきます。その発言に対して興味を示し、「もっと聞かせてくれる?」という言葉をかけることが、道徳科授業における『対話』の始まりになります。「あなたのことをもっと理解したいから、教えてほしい」という思いを届けるのです。
指導案の記載で「〜について話し合う」という語尾をよく見かけます。しかし、実際の授業では教師の発問に対して児童生徒が個別に発言をしているだけで、決して「話し合い(ここでは『対話』と同意とする)にはなっていないことをよく見かけます。
話し合い(対話)の基本姿勢は「あなたのことを教えてほしい」という受容的態度だと考えます。「わたしはあなたのことがわからない。わたしとあなたの意見は違うようだ。だから、あなたのことを理解したい。そして、あなたのことを理解しようとすることが、自分の考え方や生き方を見つめることにつながる。それが『対話』である。」
このようなことを平田オリザ氏の「4つの認識」は教えてくれているのではないでしょうか。
(引用参考文献)
向後善之 久保田健司『マンガでやさしくわかるオープンダイアローグ』(日本能率協会マネジメントセンター,2021)
0 件のコメント:
コメントを投稿