【書籍から考える道徳科授業シリーズ】
本日は、野口裕二氏の『ナラティブと共同性 自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ』(青土社,2018)から、道徳科授業について考えていきます。
野口氏は、著書の中で「ナラティブ・アプローチ」という手法が「外在化」、「無知の姿勢」、「リフレクティング」という革新的な方法が臨床の場面を確実に変えてきたと述べていますので、まずはこの3つの手法を道徳科授業におきかえて理解してみようと思います。
(※「ナラティブ・アプローチ」とは、「ナラティブ(語り、物語)」という概念を手がかりに現象に迫る方法の総称となります。「ナラティブ」について詳しくは7月31日「自分を物語る授業(1)」をご覧ください)
【外在化】
野口氏は上述の書籍の中で、「外在化」のスタンスを「人が問題なのではなく、問題が問題なのである」としています。そのうえで、「その人を苦しめている物語を、自分の病気や欠陥が「問題」を生み出しているという物語から、『問題』が自分を支配し振り回してきたという物語に変える」と説明しています。
その具体的な方法としては、主語を「ひと」から「問題」へと変換すること、「問題」に名前を付けて「問題」を「ひと」から分離することを紹介しています。
さて、私はこの「外在化」という手法に大きな可能性を感じました。多くの道徳科授業では登場人物の苦悩や葛藤に共感させようとします。しかし、その人物が困っている様子をみて、「その人物が悪い」「私には関係のないことだ」と感じてしまう子がいることも事実です。いわゆる、「自分ごととして捉えられない」という状況です。
この状況の要因の一つとして、「問題」をその人物が生み出している固有のものとと捉えてしまうことが考えられます。また、「問題」をその人物のみに起こっている特別な現象として捉えてしまうということもあるでしょう。
そこで、「人物が問題を起こしている」と捉えさせるのではなく、「問題が人物を困らせている」と認識できるような発問や展開を考えると、子供たちの道徳化授業観が大きく異なってくるのではないでしょうか。
【ドミナント・ストーリー】
さて、「問題」というものについて、野口氏は「ドミナント・ストーリー」という概念を使って説明しています。「ドミナント・ストーリー」とは以下のようなものです。
(以下、抜粋)
ドミナント・ストーリーとは、ある現実を支配している物語であり、疑う余地のないものとして存在している強固な物語を指す。たとえば、フェミニズムが登場するまで、男女不平等は疑う必要のないドミナント・ストーリーとして存在していたし、障害者差別や性的マイノリティーに対する差別もある時期までは当然のこととして社会を支配していた。
(以上)
このように、ドミナント・ストーリーとは、「社会的現実」の構成のきっかけとなる「暗黙の前提」といえるもののようです。では、道徳科授業における「ドミナント・ストーリー」とは、どのようなものが考えられるでしょうか。そのことについて、次回以降考えていきたいと思います。
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