2021/10/05

オープンダイアローグとは何か から考える道徳科授業(3)


 本日も齋藤環氏の『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)から道徳科の授業づくりについて考えていきます。

【対話のゴール】

 斎藤環氏は、オープンダイアローグでの対話について以下のように述べています。

​​『オープンダイアローグでは、たとえ意見が対立しても、あらゆる声の存在が許容されます。意見の集約や善悪二言論的な価値判断よりも、傾聴とやりとりが推奨されます。すべてのメンバーには同意しない自由があります。それでも、安心できる雰囲気のなかで、異なる視点を交換し続けていると、しだいにポジティブな変化が起きてくるのです。それゆえ、オープンダイアローグのゴールは、全員が合意に達することではありません。それぞれの異なった理解を、うまくつなぎ合わせ、共有することです。合意や結論は、この過程から一種の副産物のようにしてもたらせられるのです。』

 いかがでしょうか。「合意や結論は対話の副産物としてもたらせられるもの」という考え方に私は強く共感できました。

 そうであれば、道徳科授業における「対話そのものをゴールとする」という考え方も決しておかしいものではないと言えるでしょう。「活動あって学びなし」と批判する人もいるかもしれませんが、その人たちはおそらく「対話」の可能性を信じていない、いわゆる価値を押し付けることを有効だと感じている人なのかもしれません。


【納得解】

 しかし、合意や結論がないからと言って、好き勝手に意見を言い争って終わるようでは、道徳科授業のねらいには近づけないことも事実です。

 「納得解」という用語が道徳科の授業づくりにおいて注目されています。東京学芸大学の永田茂雄氏は用語「納得解」のもつ性格について以下のように説明しています。

 (以下、抜粋)

 性格① 答えのない(答えが定まっていない)問いに向き合い生み出されるもの

 性格② 多様な他者との協働的な議論の積み重ねを通して生み出されるもの

 性格③ 自分が納得でき、その本人の考えに周囲の納得が得られるもの

 性格④ 子ども一人ひとりの中で独立しているが、決して孤立はしていないもの。

(以上)

 永田氏は、例えばある児童が自己の「納得解」を見つけたとき、教師や周囲の友達がそれを「A児が考え抜いた価値ある結論」だと受け止め、共感できることが必須になるとしています。

 オープンダイアローグでの合意や結論(対話による副産物)が、まさに道徳科授業における「納得解」ということができるでしょう。「納得解」を見つけ出すための「過程」(対話)に注目し、その「過程」(対話)を学級でどれぐらい大切にできているか。そのことが道徳科授業を改善するためのポイントになりそうです。


(参考図書)

 齋藤環『オープンダイアローグとは何か』2015 医学書院

『道徳教育』2021年10月号 明治図書

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