藤川大祐氏の著書『道徳授業の迷宮〜ゲーミフィケーションで脱出せよ〜』を多くの先生方に読んでほしいと思っています。この書籍を読んでいると、道徳科授業の存在意義を深く考えることができます。道徳科授業の魅力を感じているからこそ、批判的思考も大切に持っておきたいものです。
さて、その著書の中で藤川氏は『最初に私達が行うべきは、道徳教育で扱う内容ごとの課題の検討である。考えたり議論させたりする「方法」に意識が向きがちである。だが、「内容」と無関係に「方法」だけを考えることは非生産的だ。授業で扱うべき「内容」ごとに課題を整理し、課題を踏まえた上で「方法」を検討する必要がある。』と述べています。
以下に藤川氏の提言をいくつか列記してみます。道徳教育に携わる教師として、秋の夜長にじっくりと考えてみてはいかがでしょうか。
◯「主として自分自身に関すること」は、理想的な子ども像を目指して前向きに努力できる子どもは良いかもしれないが、そのようにできない子どもには苦痛を与えるだけでしかない。この内容を扱う際に大切なことは、一人ひとりの違いに目を向けることである。
◯努力をつらい我慢にするのではなく、楽しく努力できるよう工夫がなされるべきである。我慢を促すことは、いじめや虐待等の問題が起きてもひたすら耐えろということになりかねない。
◯友人を作らなければならないという価値観は脅迫観念となり、友人を作らず一人でいることを過剰に否定させてしまうかもしれない。教科書の読み物教材においては、友人はよきものであり、信頼できる友人を作るべきだという価値観が貫かれている。友人をつくりたいと思わない者、友人をつくりたくても方法がわからない者は考慮されていないように見える。
◯多数派の論理に導くような授業が行われれば、少数派の児童生徒は不当に傷つけられることになりかねない。ある種の価値観について、「それは誰にでも当てはまることなのか」と問うことが必要である。
(引用参考文献)
藤川大祐『道徳授業の迷宮〜ゲーミフィケーションで脱出せよ〜』(2018,学事出版)
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