2021/10/25

1年生「かずやくんのなみだ」(3)


 前回に続いて、「かずやくんのなみだ」の展開部分について考えていきます。

 かずや君の涙を見たぼく。「ぼくはどんなことに気づいたでしょう」と尋ねてみると、おそらく「かずや君もおにごっこに入れてあげないといけない」という意見が出てくるでしょう。他には、「かずや君に謝りたい」という意見なども出てくると予想できます。

 ここで最も引き出したい意見は、「足が遅いという理由で仲間に入れなかったこと」に関して反省している発言なのかもしれません。まさに、この考え方が差別・偏見の学習につながっていく「不合理」なのですから。その意見が出てきた場合は、そのおかしさに気づけた子供の視点を学級全体で共有しておきたいところです。

 なお、「もし、私(児童自身)だったら・・・」という発言が出てきた際も、この発言のよさを子供たちにきちんと伝えたいところです。道徳科のねらいにも記載されている「自己を見つめる」ということに直結する発言だからです。この発言のよさをきちんと伝え、学級で共有していく。それが「学び方を知る」ことにもつながっていきます

 実は、道徳科授業の陥りやすい落とし穴の一つとして、この「学び方」をきちんと身に付けさせていないということがあります。道徳的な課題に対してどのように向き合えばよいのか。自分で問いを立てたり仮説を考えたりすることにどのような意味があるのか。そのようなことをきちんと積み上げてくことにより、道徳科の授業は学年が上がるにつれて深まりや広がりを見せるようになるはずです。いつまでも教師の発問を待っているだけの授業では、子供たちは「主体的に考えること」や「対話を続けること」のおもしろさを感じることができません。このあたりに「道徳科授業はおもしろい(役に立つ)」と実感させるポイントがあると、私は思っています。

 話を戻しましょう。ぼくは「かずや君も入れてあげようよ」と大きな声で言うことができました。人権教育の観点で考えると、「不合理を解消しようと行動する」ことができたぼく。この素晴らしさも子供たちにぜひ伝えたいところです。

 しかしながら、この行動のよさを1年生に伝えようとしても難しいのかもしれません、なぜなら、1年生は「結果に着目する」ことを重視する発達段階だからです。だから、この行動の結果(喜び)に着目させることを通して、ぼくのよさ(道徳的価値のよさ)を実感させることをねらいたいと思います。

 その後、かずや君も仲間に入り、みんなでおにごっこをしました。この場面で「ぼくは楽しかったのかな?」と改めて尋ねてみます。おそらく、「楽しい!」と答えるのではないでしょうか。また、かずや君についても尋ねてみると、同じように「楽しい!」と答えるでしょう。前回紹介した「楽しさレベル」がどちらも上昇していることがわかります。この上昇の結果を可視化することで、子供たちは「みんなで遊んだ方が楽しい」ということを実感することができます

 「みんなで遊ぶ方が楽しい!」ということの実感を通して、「一人ぼっちをつくらない」などの本時のねらいについての自覚につなげていく。そのような授業構成が考えられるでしょう。

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