2021/10/12

ナラティブと共同性 から考える道徳科授業(4)『対話のヒント』


【「外在化」から考える対話のヒント】

 野口裕二氏も前述の著書「ナラティブと共同性」の中で、「問題の外在化」に関する説明の中で「対話」の概念理解につながる内容のことを述べています。

(以下、抜粋)

 あるいは、「問題の外在化」という手もある。いままでは、対立する意見のどれが正しいかをめぐって争い、葛藤してきたのだが、そういう正解探しをやめるという方法である。どれが正解なのかを探すのではなく、この「問題」に直面してから自分たちはどうなってしまったのか、問題の原因ではなく「結果」に目を向けてみる。すると、「問題」に共同して立ち向かうという新たな物語が浮上してくることがある。

(以上)

 ここに対話を続けさせるためのヒントが述べられているように感じられます。

 何かの「問題」に出会ったとき、人はその原因に目を向けがちです。「なぜ、そんなことをしたの?」と理由を尋ね、原因から解決策を見つけようとします。道徳科の授業でも、「なぜこの人物は〜という行動をしたのだろう」と発問することが多くあります。

 しかし、野口氏は「問題と直面してから自分たちはどうなってしまったのか」という結果に着目することが大事であり、そうすることで「問題に共同で立ち向かう」という新たな物語を浮上させることができると述べています。

 多くの道徳科授業で、「基本発問」や「場面発問」という発問が用意されています。教材の場面ごとに「このときの気持ちは?」「なぜ、〜をしたのかな?」と尋ねていくことで場面把握をさせるとともに、中心発問での価値理解の土台とするためです。

 しかし、ここまで述べてきたことをもとに、この「基本発問(場面発問)」の必要性についても改めて考えてみる機会が必要だと思っています。 

 また、「問題に共同して立ち向かうという新たな物語」という表現にも私は大きな興味を抱きました。道徳科授業に置き換えて考えると、「学びの必然性」と言うことができるのではないでしょうか。「学びの必然性」、いわゆる主体的に学ぶ態度は、子供たちの中に暗黙の前提として存在している問題に対して、共同して立ち向かおうという新たな物語を描かせることで育つ。授業改善の大きなヒントがここにある気がしています。


(引用参考文献)

野口裕二氏の『ナラティブと共同性 自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ』(青土社,2018)

0 件のコメント: