2021/10/13

ナラティブと共同性 から考える道徳科授業(5)『無知の姿勢』


【書籍から考える道徳科授業シリーズ】

 本日も、野口裕二氏の『ナラティブと共同性 自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ』(青土社,2018)から、道徳科授業について考えていきます。


【無知の姿勢】

 精神科医の野口氏は、著書の中で「ナラティブ・アプローチ」という手法による、「外在化」「無知の姿勢」「リフレクティング」という革新的な方法が臨床の場面を確実に変えてきたと述べています。その3つの方法の中から、本日は「無知の姿勢」という方法について考えいきます。

(以下、抜粋)

 専門家が患者の生きる世界について「無知」であることを認め、一段上のポジションから問題を診断したり治療したりするのではなく、「会話のパートナー」となる。そうすることで、「いまだ語られなかった物語」が語られ、それが新しい物語を生み、新しい生き方へとつながる。ナラティブを語り、聴き、語り直すことによって、問題を解決せずに解消するのである。(野口、2002)

(以上)

 教師は教育の専門家です。教え導く立場にあります。しかし、専門家としての教師がいることで、逆に子供たちの対話を阻んでしまう恐れがあります。

 しかし、例えばAさんの発言に興味を示し敬意を抱くことを意識すると、教師は決してAさんについての専門家にはなれないことも実感できます。Aさんの言葉一つ一つの意味や背景、願いを知ることができるのは、やはりAさん自身です。Aさんは、Aさんについての専門家なのです。

 そう考えると、教師は子供たちの生きる世界について『無知」であることを認め、子供たちの発言を聴くことにもっと力を注ぐべきであるといえるでしょう。そうすることで、「いまだ語られなかった物語」を引き出すことができるようになるのです。

 「えっ?どういうこと?」「もっと聞かせてくれる?」という言葉を子供たちにかけることがあります。「あなたのことをもっと理解したいから、教えてほしい」という思いを込めて、優しく語りかけてあげてほしいと思います。

 また、教材を読んで子供たちがどう感じるのか。その感じ方も、その子自身にしかわからないものです。教師が都合よく「きっと、〜と思うだろう」と片付けてしまうのではなく、素直に感想を尋ねてみたらどうでしょうか。その感想の中に「新しい物語」につながるヒントが隠されているはずです。

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