2021/10/19

リフレクティングについて考える


 先日は、「対話と、その対話についての対話」という言葉をもとに、オープンダイアローグでの「リフレクティング」についてお伝えしました。また、「自分たちの対話が、外からどのように見えるのかという視点を取り入れながら対話を深めていく」という考え方を、道徳科の授業づくりにどのように取り入れることができるのかを考えていきたいということも述べました。

 さて、ここで改めて「リフレクティング」を構成する要素について考えてみます。このことについて、熊本大学の矢原隆行氏が著書の中でいくつかの定義を紹介しています。

・それは、「はなす」ことと「きく」ことから成り立っている。

・広い文脈において「話す」ことと「聞く」ことを丁寧に「行きつ戻りつ」する

・リフレクティングにおいて、「はなす」ことを外的会話(他者との会話)と呼ぶ。

「聞く」ことを内的会話(自分との会話、または自分のうちなる他者との会話)と呼ぶ。

・この二種の会話を丁寧に重ね合わせ、うつしこみ合わせながら展開していく。

・すなわち、会話について会話するための工夫に満ちた方法である。

 ここで着目したいことは、「聞く」という行為についての明確な定義です。私達教師は、「よく聞きなさい」と指示をします。しかし、その「聞く」という言葉の曖昧さが、子供たちの「他人事」という感覚を引き起こす要因になっていないでしょうか。話し手が主役となり、聞き手は脇役になってしまうイメージです。当てられなかった子が「あ〜!当ててもらえない」と文句を言うことも、おそらくこの「聞く」という行為の曖昧さが生んでいるものだと想像されます。

 矢原氏は、その「聞く」という行為を「自分のうちなる他者との会話」と呼んでいます。これは、道徳科授業における「自己を見つめる」というねらいに迫るための重要な要素になるのではないでしょうか。

  教師の問いに対して、子供たちが発言する。次々に意見が出てくる教室はとてもすばらしく思います。しかし、一見すると活発な話合いに見えても、「聞く」という行為が大切にされているかどうかに疑問を感じる場合もあります。もしかすると、「友達が発表するときは静かにする」「発表者を見る」という外面的な行動のみが大切にされている空間なのかもしれません。

 そうではなく、誰か一人が「話す」時は、その発言を「聞く」。その「聞く」という行為は、自分のうちなる他者と会話をするということを意識する。そして、感じたことを相手に丁寧に伝える。このようなやりとりが「リフレクティング」と呼ばれる手法になります。そして、そのことを日常の道徳科授業で子供たちが実践できるようになると、はじめて「対話」が生まれるのだと思います。

 もちろん、そのようなことがすぐにできるわけではありません。まずは、教師自身が対話のための「聞く」を意識すること。その姿勢を見せることから始めてみてはどうでしょうか。


(引用参考文献)

野口裕二『ナラティブと共同性 自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ』(青土社,2018)

矢原隆行『リフレクティング 会話についての会話という方法』(ナカニシヤ出版,2016)

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