2021/10/04

オープンダイアローグとは何か から考える道徳科授業(2)

オープンダイアローグとは何か から考える道徳科授業(2)


 本日も齋藤環氏の『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)から道徳科の授業づくりについて考えていきます。

【「役割演技」と「リフレクティング」】

 齋藤氏は、専門職同士の治療方針についての話合いを相談者が観察するという、オープンダイアローグにおける「リフレクティング」について、著書の中で以下のように述べています。

(以下、一部抜粋)

リフレクティングの手法は、たとえるなら「自分の目の前で自分の噂話をされる」という状況に近いように思います。人は往々にして、自分に直接向けられた評価よりも、誰か他人の評価を間接的に聞かされる方が信憑性が高いと感じがちです。(中略)説得や押しつけ抜きで、こちらの見解をしっかり聞いてもらう手法としても、リフレクティングはよく考えられたやり方だと思います。』

(以上)

 道徳科授業における「役割演技」では、演者の対話(演技)を観察した観客役の児童生徒に、「何を観て」、「何を聴いて」、「何を感じたか」をまずは話し合わせます。演ずることを「演者同士の対話」と見なし、その対話を観客役の児童生徒が観察するという構図としたとき、演者が発した言葉や関わり方、演者自身も気づいていない道徳的価値の意義を、観客役の児童が演者に伝えることになります

 演者の対話を通して、観客役の児童生徒が感じている葛藤や不安を改めて見つめることができる。このことが、観客役の児童生徒にとって役割演技という手法が意味のあるものにできるポイントになるのでしょう。これは、役割演技の創始者であるモレノが提唱した『観客療法』にもあたるものだと言えます。

 なお、このように捉えた場合、演者の選定に関しては、

(1)「登場人物の視点に立っている」

(2)「登場人物と同様に葛藤していたり困難を感じたりしている」

という二つの条件に加えて、

(3)「その葛藤や困難に対しての自分なりの解をもう少しで見つけられそうである」

という条件があると、効果的なリフレクティングが可能になると考えられそうです。演者が演じる「正解」ではなく、「正解を見つけようとしている姿」こそが観客役の児童生徒にとって意味のある演技になるといえるからです。


【言葉の力を信じる】

 オープンダイアローグを開発したユバスキュラ大学教授のヤーコ・セイックラ氏は、

『人間的表現から切り離された外側に、真理や現実は存在しません。治療に必要な条件は、新たな言葉や物語が日常の言説に導入されるのです。』と述べています。この言葉を使い、斎藤氏はオープンダイアローグの本質を説明しています。それは以下の通りです。

『オープンダイアローグの背景には、「言葉」に対する強固な信頼があり、言い換えるなら「言葉こそが現実を構成している」という社会構成主義的な信念でもあります。だからこそ、「言葉の回復」こそが「現実の治癒」をもたらしうるのです。』

 「言葉の回復」が、精神医療での「現実の治癒」をもたらすのであれば、「言葉の獲得」が道徳科授業での「道徳性の育成」をもたらすといえないでしょうか。だからこそ、教師は授業の中で児童生徒に求めたい「言葉」について真剣に考える必要があるのでしょう。


(参考図書)齋藤環『オープンダイアローグとは何か』2015 医学書院


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