前回は「かずやくんのなみだ」の導入について考えました。導入及び範読までに「おにごっこ=おもしろい」というイメージを抱かせておくことにより、かずや君が涙を流しているのはなぜかという疑問を抱かせることができます。授業のはじめに教材や道徳的価値のイメージをもたせることが重要だということです。なお、「導入に時間をかける」という意味ではありませんので、誤解の無いようお願いします。
さて、本日は展開場面について考えていきます。中心人物のぼくはおにごっこをしています。かずや君のことが気になっていますが、気にならないふりをしているようです。
まず、この時のぼくについて考えてみましょう。ぼくは、仲間外れになっているかずや君に気がついています。ぼくの「人権意識」は大変すばらしいですね。学級の中の不当性に気づいているからです。この点を子供たちにきちんと伝えておきたいです。なぜなら、この授業の内容項目は「公正,公平,社会正義」だからです。
この場面の発問について、指導書では『かずや君が鬼ごっこを見ているのに気づいた時、ぼくはどんな気持ちにだったでしょう。』とあります。ぼくの自分勝手な気持ちに気づかせるねらいがあるようです。
私はこのような発問を「どんな気持ち発問」と呼ぶことにしました。道徳科の授業でによく見かける発問ではありますが、実は大変答えにくい発問ではないかと思っています。なぜなら、「どんな気持ち?」と尋ねられたら、子供たちは「悲しい」「嬉しい」という単語だけで答えるようになってしまいます。また、その場面の過去があり、未来もあります。その過去と未来を知っている(教材を読んでいる)ことで、その流れに沿った気持ちを考えがちです。いわゆる「読み物道徳」の授業になってしまう恐れがあるのです。また、その意見に対して教師が問い返しをしても、教師が無理に意見を引き出している感じがしたり、授業のリズムが止まってしまったりするだけで、学びの深まりは感じられないでしょう。
そこで、この場面での発問を「鬼ごっこをしていて、ぼくは楽しかったかな?」と尋ねてはどうでしょうか。「楽しかった」という子もいれば、「楽しくない」と答える子もいるでしょう。その理由を尋ねると、「だって、かずやくんが仲間に入っていないから」などが出ると予想できます。教師が「かずや君が・・・」と尋ねるのではなく、子供たちから意見を出させることができるのです。「でも、おにごっこは楽しいはずだよね?」と問い返してあげると、より「かずや君がいないことがいけない」という思いが鮮明になるでしょう。
楽しさのレベルを10段階で考えさせたりすることも手立てとして考えられます。なぜなら、「楽しい」と答えた子の心の中にも「楽しくない」という気持ちがあることを確認させることができるからです、また、この場面で「ぼく」と「かずや」の二人の楽しさレベルを確認しておくことで、その楽しさレベルが変容する様子を視覚的に見せることも可能になります。特に、後半のみんなでおにごっこをする場面での楽しさレベルと比べさせることで、本教材のねらいに迫ることができるでしょう。
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