ラベル 問題意識 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 問題意識 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024/12/14

発問の分類「道徳問題の焦点化・明確化をはかる発問」~宮地忠雄~


 宮地忠雄は、道徳科授業での発問を6つに分類しています。そのうちの「道徳問題の焦点化・明確化をはかる発問」について、宮地は以下のとおり説明をしています。

(以下、引用参考文献から一部抜粋)

 道徳問題を意識化する段階では、まだ、それを、何のためにどうするのか。何をみんなで考えるのか。その追求の方向や焦点がはっきりしていない。

 本時のねらいにあわせ、問題のポイントをはっきりさせ、共同思考の体制を確立することが重要である。

 児童たちから出てきた「ことば」を吟味して、そこのどこが問題か、その考え方のどこが問題かをはっきりさせる。あるいは、常識的な反応や、一般的な思考、また、これまで持っていた概念のどこに甘さがあるのか、そこをついて、ときにはくだいて、これから掘り下げていこうとする問題点をはっきりさせる。これが効果的にできるかどうかが、本時の授業の成否を左右するといっても過言ではなかろう。 

(中略)児童たちは30分を費やして、心の葛藤をえぐりながら、ようやくたどりついた「しかられても、あとはすっきりするから、正直にあやまればいい」を打ち砕いているものである。

 児童たちの驚きは、「それでは、いったいどうすれないいのだろうか。」との、さらに、深い内面的な探求へと歩を進めている。

(中略)この段階は、価値へ志向する心理的な葛藤を深める段階ともいえるだろう。この心理的な葛藤が深化すればするほど、いいかえるなら、「それではいったいどうすればいいんだろう」とか、「どっちを選べばよいか」とかが、価値への志向において、また、実践への態度決定が迫られるによんで、一種の緊迫感を帯び、一歩も引けないぎりぎりの立場に立たされて、その決断が自己に問いつめられてくる。ここではじめて人ごとではない主体的な問いかけが自己の内面において成立する。いいかえれば、道徳的な価値の内面的な自覚ということが、45分という時間の枠の中で、集団を相手に成立するか否かが、実は、この段階が可能であるか否かにかかるということも過言でないということになる。

(以上)

上記の記述は、いわゆる「問い返し」や「補助発問」に当たる発問だと考えられる。そして、自分事として思考するということ、宮地の言葉を借りると「ひとごとではない主体的な問いかけが自己の内面において成立する」という状態になるためには、この種の発音がやはり大事になるということである。


(引用参考文献)

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)

2024/12/13

発問の分類「道徳問題の意識化・共通化をはかる発問」~宮地忠雄~


 宮地忠雄は、道徳科授業での発問を6つに分類しています。そのうちの「道徳問題の意識化・共通化をはかる発問」について、宮地は以下のとおり説明をしています。

(以下、引用参考文献から一部抜粋)

 個別的な生活経験が、相互のコミュニケーションによって共通化され「自分ばかりでなく、みんなにもそういったことがある」と気づく。このステップを押さえて、次になされることは、そこから本時問題にしようとする道徳問題を導き出し、ひとりひとりの児童に、その生活のどこが問題か、それを単なる生活問題としてではなく、道徳問題として意識させ、把握させることである。

(中略)現象として外面的に問題視されているものを手がかりにしながら、自己の内面に問いかけ、問題に対する自己の内なるもののあり方、傾向、弱さ、強さ、積極さ、消極さ、ずるさ、もろさ、等々に気づかせていくわけである。

(以上)

生活問題を道徳問題として意識させること、これは現在の道徳科授業においても大切にされていることです。例えば、上記の「生活問題」を「教材の中の問題」として置き換え、なぜそれが問題かを考えさせることで問いをつくることもできます。


(引用参考文献)

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)

2024/12/12

発問の分類「経験の共通化をはかる発問」~宮地忠雄~


 宮地忠雄は、道徳科授業での発問を6つに分類しています。そのうちの「経験の共通化をはかる発問」について、宮地は以下のとおり説明をしています。

(以下、引用参考文献から一部抜粋)

 生活経験の共通化をはかるということは、一方において、学級集団に対して授業という形で指導が展開される場合、当然のことであると同時に、他の一方において、児童のそれぞれが、これまで個々の自分の生活問題として受け止めていたことを、みんなの生活問題として意識することによって、その問題を受け止める姿勢が集団として積極化されてくるということがある。これはたいへん重要なことである。

「みんなも、このことで苦しんでいたのか。みんなもこんなときには、そんなに困ったのか。よし、ひとつ、しっかり考えよう・・・。」

 みんなの共通の問題だという意識は、ひとりひとりに、その問題への接近の姿勢を非常に積極化する。

 特に、「そんなことは、自分にもあった」とか「だれにもあることだな」と児童のひとりひとりが、教師の発問をきっかけにし、また相互の話し合いによって気づくことが重要視される。

(以上)


(引用参考文献)

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)

2024/11/01

「問い」を引き出し、広げる


 「問い」について、樋口(2020)は「子どもたちの中から生じる疑問、問題意識、探究心が『問い』になる」と述べています。道徳科の授業においても、子供たちの中にある「問い」を引き出すことが、主体的に学ぼうとする力を育む糸口になると考えられます。

 さて、「問い」を引き出すためには教師の手立ても欠かせません。田沼(2020)は「個別の『問い』を意図的に披瀝し合う場を設け、語らいを通してすり合わせ、調和的に調整し合い、学習集団全体の合意形成プロセスを経ての共通追求道徳課題設定を行う」ことを「グループモデレーション」と述べています。この「グループモデレーション」を意識し、まずは、「個別の『問い』を意図的に披瀝し合う場を設ける」ところから授業づくりを始めてはどうでしょうか。


《参考引用文献》

樋口万太郎『子どもの問いからはじまる授業!』(2020、学陽書房)

田沼茂紀『問いで紡ぐ小学校道徳科授業づくり〜学びのストーリーで「自分ごと」の道徳学びを生み出す〜』(2020、東洋館出版社)

2022/09/10

社会構成主義と道徳(2)「問題」

 心理学者のケネス・ガーゲンの「問題」についての定義が参考になります。ガーゲンは、「問題」はすべての人の目に見えるわけではなく、私たちが「良し」とする世界の構成の実現を妨げるものを「問題」として見ることができる、と述べています。

 『私たちが「良し」とする世界』という言葉が引っかかります。なぜなら、国や地域、宗教や世代によって、「良し」するものが異なるからです。教室の中を見ても、「良し」とするものはそれぞれに異なるはずです。特定の「良し」に導くような行為は、どうしても軋轢を生んでしまうでしょう。

 道徳科の教材を見て、どのような問題が見えてくるかもそれぞれです。同じ事象を見て、「いけない!」と感じる子もいれば「それぐらい、いいと思う」と感じる子もいます。「問題解決的な学習」という手法がありますが、その「問題」を教師の「良し」とする世界を基準に考えさせて(与えてしまって)いないでしょうか。教師の提示する正解を理解させるための道徳科授業では、子供たちは自分ごととして真剣に考えることはできないでしょう。

 一方の「良し」を提唱すると、必ず他方の「良し」があります。「友達と仲良くすることはいいことだ」という「良し」があれば、「一人でいることも認められるべきだ」という「良し」もあります。このように、人によって「良し」とする世界が異なるからこそ、道徳科授業では対話が重要になるのです。


《引用参考文献》

ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン著『現実はいつも対話から生まれる 社会構成主義入門』(2018,ディスカバリー・トゥエンティワン)

2022/08/28

「問題」とは?


 ハーレーン・アンダーソンは、「問題」について以下のように述べています。

(以下、引用参考文献から一部抜粋)

セラピーで扱われる問題は、われわれの主体性や自由の感覚を損なうようなかたちで表現された物語である。問題とは、自分で適切な行為ができそうもない事態に対して意義を唱えるものである。それゆえ、問題は言葉のなかに宿り、その意味が引き出されてくる物語の文脈に固有のものである。

(以上)

 道徳科授業でも「道徳的問題」や「問題解決的な学習」、問題意識など、「問題」という用語が使われることが多々あります。ハーレーン・アンダーソンの論をもとにすると、

問題とは、児童生徒の主体性や自由の感覚を損なうようなかたちで表現された物語であり、自分で適切な行為ができそうもない事態に対して意義を唱えるもの。

となります。


 《引用参考文献》

シーラ・マクナミー、ケネス・J・ガーゲン編 野口裕二・野村直樹訳『ナラティブ・セラピー 社会構成主義の実践』(1997,金剛出版)

2022/07/14

問題意識をもたせるために


 道徳科授業では子供たちの「問題意識」がとても重要になります。「問題意識」のない授業は、残念ながら「考えたい」「伝えたい」という意欲は生まれず、分かっていることを言わされる授業になってしまいます。

 では、どのようにすれば道徳科授業で「問題意識」をもたせることができるのでしょうか。ここでは、どのタイミングで「問題意識」が生まれるのかを整理してみます。

(1)導入で生まれる問題意識

(2)導入との対比で生まれる問題意識

(3)範読で感じる違和感から生まれる問題意識

(3)視点の違いから生まれる問題意識

(4)人間理解(弱い自分)から生まれる問題意識

(5)価値理解(発達段階の違い)から生まれる問題意識

 このように、問題意識が生まれるタイミングは教材や授業展開で異なります。しかし、どのタイミングであろうと、その問題意識が生まれた瞬間から子供たちは道徳科授業の世界に入り込むのであり、そこから主体的・対話的な学習が始まるのです。

2022/06/28

子どもの問いから構想するということ(2)


 永田(2022)は、『道徳教育 2022年7月号』の中で、下図のように「子どもの問題意識」に言及しています。

 

どの教材(内容項目)で授業をするにしても、その教材のどこに子ども達が問題意識を抱くのか、教師は常にそのことを考えておきたいものです。


《引用参考文献》

『道徳教育 2022年7月号』(2022,明治図書)

2022/06/16

子どもの問いから構想するということ

 永田(2022)によると、現在の学習指導要領解説では、小・中学校ともに「問題意識」という用語が頻出していているということです(子どもの立場で用いられるのは9箇所ずつで、平成20年の解説書と比較しても急増)。

 例えば、このように書かれています。

「児童がどのような問題意識をもって学習に臨み、ねらいとする道徳的価値を理解し、自己を見つめ、多様な感じ方や考え方によって学び合うことができるのかを具体的に予想しながら(中略)展開を構想する。」

 永田はこの記述をきわめて重要だとしています。それは、授業は子どもの問題意識をふまえた追求であり、教師の教えたい順番や「問い」の順に授業を作るのではなく、子どもの考えたい「問い」の流れに即して全体を構想すべきことを強く示唆しているからだと述べています。

 そうであれば、日々の授業の中で、教材との出会い方がこれまで以上に重要になるのではないでしょうか。そして、教材と出会った後の、つぶやき。子供たちが現在もっている価値観や経験と、教材に隠された価値観や理想とのずれによって生まれるつぶやきを丁寧に受け取ることが、子供たちの問題意識につながるのだと考えます。


《引用参考文献》

『道徳教育 2022年7月号』(2022,明治図書)