ラベル いじりといじめ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル いじりといじめ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023/09/21

いじりといじめ(6)


 先日、「いじり」は『遊びのフレーム』であると述べました。個々の言動に着目させるだけではなく、そのフレーム(集団)に目を向けさせることが大事になるということです。このことは、内容項目C「公正、公平、社会正義」の内容にも合致しています。

 さて、本教材の展開後段で学級という集団に目を向けさせるための手段として、教材の中の学級の一員になりきって「模擬学活」をするという学習活動はいかがでしょうか。モラルスキルトレーニングの手法を取り入れ、一回目は「再現のロールプレイング」として、ゆうきが思い悩んでいる場面を再現させます。2回目は「解決のロールプレイング」として、実際に教材の中の学級の問題を解決するための話合いをさせ、実際に身に付けるべきスキルについて考えさせます。

 「いじり」か「いじめ」かについて議論を進めても、子供たちの理解が深まらないと想定される場合、上記のようなモラルスキルトレーニングとしての「模擬学活」という学習活動もおもしろいのではないでしょうか。

2023/09/20

いじりといじめ(5)


 小学校4年生教材「いじりといじめ」について考えます。本教材では、「いじり」がよいか悪いかという二項対立で話し合う授業をよく見かけます。また、「いじり」が「いじめ」につながるからいけないものだ、という理解を目指す授業も見かけます。

 そもそも、「いじり」とは何なのでしょうか。

(以下、抜粋)

対立の回避を最優先させる若者たちの人間関係を「優しい関係」と呼んだうえで、「優しい関係」を営む子どもたちは、いじめて笑い、いじめられて笑う。傍観者たちもまた、それを眺めて笑う。互いに遊びのフレームに乗り切り、「いじり」と呼ぶ軽薄な人間関係を演出することで、いじめが有する人間関係の軋轢が表面化することを避けようとする。

(以上)

 上記によると、「いじり」とは対立の回避を最優先させる軽薄な関係性であり、「いじめ」が有する人間関係の軋轢を表面化させないためのものであるといえます。

 本教材のまさるも、げんきも、みかも、ゆうきも、「いじり」という『遊びのフレーム』の中に入れられた存在なのです。そうであれば、一人一人の言動がよい(悪い)という議論だけではなく、発問や板書で『遊びのフレーム』(関係性)に注目させる必要があるといえるでしょう。

 さて、「いじり」という『遊びのフレーム』に気づかせる発問としては、

・「ぼく、まちがえちゃったよ」という言葉に込められたまさるの思いは?

・学級集団の中にいるぼく。みんなといっしょなら安心するのは、なぜ?

などが考えられます。

 また、「いじり」という『遊びのフレーム』を打破を目指すための発問としては、

・「いじる」関係をなくすと、どのようなコミュニケーションが生まれるのかな?

・この学級に、あったらいいものと、なくしたほうがいいものは?

・学級の一人として、ゆうきが大事にしたいものは(気づいたことは)?

などが考えられそうです。


《引用参考文献》

 中野円佳『上司の「いじり」が許せない』(講談社)

2021/08/14

いじりといじめ(4)

小学校4年生「いじりといじめ」④(日本文教出版)

【道徳科授業の流れ】

 一般的な道徳科教材の流れは、

①中心人物がある出来事(葛藤)と出会う。

②補助人物の言葉や行動にふれる。

③道徳的価値のよさに気づく。

④よりよい自分に変容する。

という流れで構成されています。中心人物に自分を重ね、その人物になりきって考えさせることで、道徳的価値のよさを実感させることをねらいます。

 このような流れの教材が多いので、物語の始まりから順序通り丁寧に押さえていくことで、迷うことなく授業のねらいに向かうことができます。ただし、近年はそのような授業は「教師がレールを敷いている」「自由な思考が許されない」と批判されてしまうこともあります。


【モヤモヤ】

 さて、「いじりといじめ」をみてみると、この一般的な構成とは異なっていることに気づきます。大きな違いは、「中心人物の変容が描かれていない」ということです。中心人物(ゆうき)は、げんきの行動が「いじり」なのか「いじめ」なのかを悩みながら、「まさるくんは本当はどんな気持ちだったのかな。」と、つぶやく場面で終わります。前述の一般的な流れでいうと、②の場面で教材文が終わります。子ども達も、モヤモヤとした気分のまま読み終えることでしょう。しかし、このモヤモヤに価値があります。

 このモヤモヤの原因を問うと、様々な発言が予想されます。げんきへの怒り、まさるへの心配、ゆうきへの励まし、みかへの称賛。「このままだったら・・・」という未来思考。「ぼくの経験を聞いてほしい」という自己語り。

 どれに教師が焦点を当てるかによって、授業の展開が異なります。主題やねらいは同じでも、様々な展開が可能なのです。指導案の中で複数の展開を用意し、「◯◯という発言があったときは、〜と問い返すことで、・・・に気づかせる」と記載してもいでしょう。

 

【未来を任せる】

 さて、このつぶやきの後、ゆうきはどのような行動をとったのでしょうか。誰に、どのようなことを伝えたのでしょうか。物語の未来は学級の子ども達に任されているのです。一般的な教材の流れであれば、ゆうきが「いじりをやめよう」とげんきに伝えて終わるかもしれません。しかし、現実の教室を想像したとき、その一言を発言するのにどれだけの勇気が必要なのでしょう。「私は発言できません」という子がいてもおかしくはありません。そのような人間的な弱さも受け入れたうえで、これから大切にしたい「心」について考えさせていきます。

2021/08/12

いじりといじめ(3)

小学校4年生「いじりといじめ」③(日本文教出版)

【落とし穴③ 困っている人は誰?】

「いじりといじめ」も3回目となりました。本日も、この教材を理解するうえでの「落とし穴」(3つ目)を紹介します。今回の落とし穴は、「困っている人は誰?」ということです。

 道徳科の授業は、中心人物の心情に寄り添いながら学習を進めることが一般的です。この授業でも、中心人物である「ゆうき」の葛藤に寄り添い、自分ごととして捉えさせていく授業が多いと思います。

 しかし、教材を読んでいるとある疑問が浮かんできます。それは「困っている人は誰だろう」ということです。中心人物(ゆうき)だけが困っているのでしょうか。いいえ、他にも困っている人物がたくさん登場しています。少し整理をしてみましょう。


《ゆうき(中心人物)》

 目の前の行為が「いじり」か「いじめ」かで悩んでいる。自分もまさるを笑ってきたことを思い出し、自己の行動をふり返っている。

《まさる》

 間違いを笑われて困っている。「気にしていない」と決めつけられている。

《みか》

 いじりに対して不快感を示しているが、自分の思いが周りの子に伝わらない。少数の立場の意見を聞いてもらえず、モヤモヤしている。

《げんき》

 まさるに対して「いじり」をしているが、その理不尽さに気づいておらず、まさるを傷つけてしまっている。このままでいいのか、げんき! 

《学級のみんな》

 げんきの「いじり」に対して、深く考えずに笑っている。


 いかがでしょうか。実は、まさるに対しての「いじり」が、学級全体(集団)の大きな問題になっていることに気づくことができます。

 また、児童それぞれが、この登場人物の中の誰の視点で教材の世界に入っているかで、児童の感じている困り感や解決策も異なってきます。様々な意見を交流させ、大切なことに気づかせていく。まさに、多面的・多角的に考えさせることのできる教材なのです。


【集団の意識】

 ここまでのことをまとめます。内容項目C「公正,公平,社会正義」では、「集団」に意識を向けさせることがポイントとなります。差別や偏見などの行為が周りの人に与える影響についても考えさせることで、集団の中の全員の問題であると気づかせます。なぜなら、いじめ問題をはじめとする差別や偏見、決めつけを解消するには集団(社会)への働きかけが重要になるからです。

 この教材でも、いじりが常態化している学級の居心地の悪さを想像させることで、児童一人一人がどのようなことができるかを考えさせることができます。


【落とし穴に気づかせる】

 これまでに3つの落とし穴を紹介してきました。この落とし穴に気づかせないことも可能です。しかし、それでは「道徳科の授業は考える意義のないもの」というメッセージを送っていることになってしまう恐れがあります。だからこそ、道徳科授業の中で、あえて落とし穴につまづかせてみましょう。病気になった時に健康のありがたさを感じられることと同じように、道徳的価値に対しての認識不足に気づくことが、学びの主体性を生むきっかけの一つになるからです。そのために必要なものは、様々な意見が出てくることを楽しもうと思える教師の覚悟、それだけです。

2021/08/11

いじりといじめ(2)

20210811 

小学校4年生「いじりといじめ」②(日本文教出版)


【落とし穴②】 

 この教材の落とし穴の二つ目は、「教材の分かりやすさ」です。昨日の記事で『題名を見て、本文を読む。この作業だけで、この教材で教えるべきことが理解できたような気がしてきます。』ということを書きました。

 教師にとって分かりやすいということは、子ども達にもわかりやすいということになります。しかし、この場合の「わかりやすさ」とは、あまり好ましくない意味になります。要するに、わかりやすさが学習意欲の高まりを阻害するということです。

 「道徳授業はおもしろいですか」というアンケートをしたとすると、「おもしろくない」という回答の理由は「答えがすぐにわかってしまう」というものが多いそうです。「すぐにわかってしまう」ということは、もしかしたら45分の授業時間をずっとわからないふりをさせるということになってしまうのです。なんて残酷なことでしょうか。


【わからないことはある?】

 答えがすぐにわかるクイズに魅力を感じないように、答えのすぐにわかる道徳科授業にも魅力はありません。では、「わからない」を生み出すには、どうすればいいのでしょうか。

 学びの主体は子ども達です。ですから、子ども達に直接、「わからないことはある?」と尋ねてみたらどうでしょうか。範読の後にこの発問をすることで、子ども達は「?」を探す眼鏡をかけているかのように教材を読み直します。すると、「わかった」つもりだったのに、多くの疑問が浮かび上がります。「いじりはいけない」という認識を土台として、さらに深く考えるための疑問を見つけ出そうとします。その疑問を整理してあげると、この授業の「めあて」が生まれ、子ども達は自分たちの疑問を解決しようと主体的に学び始めることでしょう。

 この教材を読んでの「わかった」は、実は「わかったつもり」だったのです。これは教師にも子ども達にも当てはまります。授業者である教師も、まずは教材の中にある「?」を探してみてはどうでしょうか。そして、子どもになった気持ちで考えてみるのです。

 さて、この「わからないことはある?」の発問は、学び手を信じることが必要です。発言を想定しておくという事前の準備も必要です。もちろん、「わからないことは、ない!」という学級であれば、その理解を揺さぶる発問も準備しておきます。学び手を信じて任せるということは、教師はそれ以上に様々な想定をすることになりますが、どうぞその過程を楽しんでもらえたらと思います。その過程が、授業づくりの醍醐味だと思っています。


【逆を問う】

 他の方法も考えてみましょう。教材を一読すると「いじりはいじめにつながる行為だから、いけないものだ」というようなゴールが見えるということを述べてきました。しかし、きっとこの授業のゴールはもっと深いところにあるはずです。そこで登場する手法が、「逆を問う」ということです。

 「いじりはいけない」と認識している子ども達に、「本当にいけないのかな?」と問いかけてみてください。子ども達はきっとザワザワとすると思います。「えっ!?先生、何を言っているの?」と不安を覚え、自分の認識を疑いだすことでしょう。立場を明確にさせてみると、もしかしたら「絶対ではない」や「どちらとも言えない」という立場の子どもも現れるかもしれません。子ども達の中に、認識の「ずれ」が生じるのです。この「ずれ」を議論の発火点として、学びを深めていくことができます。


【学びの必然性】

 道徳科の授業づくりで大切にしたいことの一つに、「学びの必然性を生む」ということがあります。教師が「めあて」を提示して授業を始めることが多いかもしれませんが、その時の子ども達の意識(思考)はバラバラな状態かもしれません。その際に、まずは課題づくりに取り組ませてみると、子ども達は学びの必然性、いわゆる主体的に学ぼうとするのです。

 また、「本当にそうなのかな」「なんだか、おかしいな」と自ら疑問を抱く力を育てることも大切です。この力は、物事の本質を問いただすための大切な力であり、道徳科の授業で育てたい資質・能力でもあると思っています。

2021/08/10

いじりといじめ(1)

20210810 

小学校4年生「いじりといじめ」(日本文教出版)


【公正,公平,社会正義】

 前回に続けて、内容項目C「公正,公平,社会正義」の教材について考えていきます。

この内容項目のキーワードは、『集団』です。「集団の中の一人として」「よりよい集団(社会)の実現に向けて」ということを意識させることが重要となります。そうすることで、現実社会での差別や偏見の解消につながっていくからです。


【いじりといじめ】

 今回は4年生教材「いじりといじめ」について考えていきます。教材文は教科書で確認ください。

 さて、題名を見て、本文を読む。この作業だけで、この教材で教えるべきことが理解できたような気がしてきます。「いじりはいじめにつながるから、いけないよ」ということです。分かりやすい内容ですので、授業もきっと上手くいくはずですよね・・・、なんて言うことはできません。実は、この教材にはいくつもの落とし穴があるからです。


【落とし穴①「いじめ」の認識】

 題名に「いじめ」という言葉が出てきますが、他教科も含めて、教材名に「いじめ」という言葉を直接扱っている教材はあまり多くありません。実は、子ども達は「いじめ」というものについて系統的に学びを積み上げてきていないのです。これが、落とし穴の一つ目です。「いじりはいじめにつながる」ということを考えさせたとしても、その先の「いじめ」というものの理解が曖昧であれば、自ずと学びも曖昧になってしまいます。 

 それゆえ、この教材で授業をする際には、「いじめ」というものについての事前学習をすることをおすすめします。「いじめ」に対しての認識を学級全体で深めることができていれば、この教材での学びも深められることができるしょう。


【絵本での学び】

 では、どのようにして「いじめ」についての理解を深めていきましょうか。日々の指導や声かけも重要となりますが、私は「絵本の読み聞かせ」をおすすめします。担任が絵本を読み聞かせてあげてほしいのです。

 例えば『わたしのいもうと』(松谷みよ子 文・味戸ケイコ 絵)という絵本があります。内容はお伝えできませんが、その絵本のあとがきに書かれていることを紹介します。

(以下、あとがきから一部抜粋)

 数年前、一通の手紙がきた。

 わたしのいもうとの話を聞いてください、という手紙であった。いじめにあい、登校を拒否し、心を閉ざしてしまった子。最後の、『わたしをいじめたひとたちは、もうわたしをわすれてしまったでしょうね』という言葉まできたとき、わたしはこみあげてくるものをとどめることができなかった。

(以上)


 また、『名前をうばわれた なかまたち』(タシウス 作・横湯園子 訳)という絵本もあります。こちらもあとがきの一部を紹介します。

(以下、あとがきから一部抜粋)

 なんと多くの子ども、青年がいじめという暴力にあっていることでしょう。心の傷はそうかんたんに癒えるものではありません。いかなる暴力も許されてよいはずがなく、タシエスの「いじめを根絶しなければなりません」という気持ちは、まさに私の気持ちでもありました。

(以上)


 これらの絵本を子ども達に読み聞かせ、感想を伝え合う。絵本には大きな力があります。ただこれだけの活動で子ども達の心がゆさぶられるはずです。「いじめ」について自分たちで理解を深めようしていきます。このような事前指導を行った上で、この教材の学習に入ると、授業の始まりから子ども達の意識は異なることでしょう(もちろん、絵本以外の事前指導でも大丈夫です)。このことは、道徳科の授業が道徳教育の「補充・深化・統合」の役割であるということにもつながります。