小学校4年生教材「いじりといじめ」について考えます。本教材では、「いじり」がよいか悪いかという二項対立で話し合う授業をよく見かけます。また、「いじり」が「いじめ」につながるからいけないものだ、という理解を目指す授業も見かけます。
そもそも、「いじり」とは何なのでしょうか。
(以下、抜粋)
対立の回避を最優先させる若者たちの人間関係を「優しい関係」と呼んだうえで、「優しい関係」を営む子どもたちは、いじめて笑い、いじめられて笑う。傍観者たちもまた、それを眺めて笑う。互いに遊びのフレームに乗り切り、「いじり」と呼ぶ軽薄な人間関係を演出することで、いじめが有する人間関係の軋轢が表面化することを避けようとする。
(以上)
上記によると、「いじり」とは対立の回避を最優先させる軽薄な関係性であり、「いじめ」が有する人間関係の軋轢を表面化させないためのものであるといえます。
本教材のまさるも、げんきも、みかも、ゆうきも、「いじり」という『遊びのフレーム』の中に入れられた存在なのです。そうであれば、一人一人の言動がよい(悪い)という議論だけではなく、発問や板書で『遊びのフレーム』(関係性)に注目させる必要があるといえるでしょう。
さて、「いじり」という『遊びのフレーム』に気づかせる発問としては、
などが考えられます。
また、「いじり」という『遊びのフレーム』を打破を目指すための発問としては、
などが考えられそうです。
《引用参考文献》
中野円佳『上司の「いじり」が許せない』(講談社)
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