2023/09/26

確かな児童理解(3)


 子供たちの発言に対して、教師は全てを分かっている立場として応答しがちです。また、本時のねらいに向かうために、子供たちの発言を教師だけの判断で取捨選択する場面が多々あります。

 教師は、本当に全てを分かっているのでしょうか。決してそのようなことはありません。目の前の子供が、どのように物事を捉え、どのような「世界」に生きているのかは、その子自身しか分からないことであり(その子自身も分かっていないかもしれません)、だからこそ、日々の生活の中で、授業の中で、子供たちとの対話が必要になるのです。 

 その際、時に教師としての専門性や経験を脱ぎ捨て、目の前の子供に敬意を抱き、その子の発言の一つ一つに興味をもって聞いてあげる必要があります。例えば、道徳科授業の中で教師の意図しない発言があった場合、「その発想、想像してなかった!なんておもしろい発言なのだろう」「なぜ、そのような発想をしたのだろう」など、「あなたの考えをもっと聞かせてほしい!」という思いを教師が抱けること、言い換えると、授業づくりに余白をもっておくことが、多様な考えを認め合える道徳科授業では必要になります。

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