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2026/01/10

小学校3年生教材「ぼくのボールだ」(日本文教出版)②


 小学校3年生教材「ぼくのボールだ」(日本文教出版)の授業づくりについて考えます。内容項目は「公正、公平、社会正義」です。

 実際の授業で、「(たかしくんが)嫌な気持ちになるのなら、ドッジボールに参加しなかったらいいのに」という発言が出ました。この発言について、授業者としてとても興味を抱きました。もしかすると、発言をした児童自身が日頃からそのように考えて遊びに参加しないことがあるのかもしれません。自分ごととして考えているからこその発言なのではないか、そのように感じました。

 授業では、その発言に対して授業者である私がとても興味を抱いたことを伝え、発言した児童に感謝をした上で、「では、運動が苦手な子(強いボールを投げられない子)は、みんなのために我慢しないといけないのかな」と問い返しました。すると、「たかしくんにも楽しみたい気持ちがある」「ドッジボールを嫌いになってしまう」「いじめにつながると思う」などの意見が出てきました。

 内容項目は「公正、公平、社会正義」です。学習指導要領解説にも「自分の好みや利害によって、ともすると公平さを欠く言動をとる姿も見受けられる」とあります。また、「偏見や差別が背景にある言動については、毅然として是正することが必要である」ともあります。ぼくにとっての利害(ドッジボールに勝ちたい)によって、たかしくんは偏見が背景にある言動(ボールを強く投げられないと決め付けられ、取り上げられる)を受けています。

 実際の生活の中では、無理にドッジボールに参加しなくてもいいでしょう。しかし、それは「ドッジボールに参加してみんなと楽しむことができる」という条件をクリアした上での「選択の自由」になるべきなのです。

 このことに授業を通して気付かせることができるかどうかが、本教材の大きなポイントになるのではないかと考えます。

 なお、今回取り上げた児童の発言「嫌な気持ちになるのなら、参加しなかったらいいのに」は、事前に教師が想定しておいて補助発問として用いることもできます。このように、事前に児童の発言や思考を想定しておくことも、「考え議論する授業の徹底」を目指すには必要なのです。

2024/12/14

発問の分類「道徳問題の焦点化・明確化をはかる発問」~宮地忠雄~


 宮地忠雄は、道徳科授業での発問を6つに分類しています。そのうちの「道徳問題の焦点化・明確化をはかる発問」について、宮地は以下のとおり説明をしています。

(以下、引用参考文献から一部抜粋)

 道徳問題を意識化する段階では、まだ、それを、何のためにどうするのか。何をみんなで考えるのか。その追求の方向や焦点がはっきりしていない。

 本時のねらいにあわせ、問題のポイントをはっきりさせ、共同思考の体制を確立することが重要である。

 児童たちから出てきた「ことば」を吟味して、そこのどこが問題か、その考え方のどこが問題かをはっきりさせる。あるいは、常識的な反応や、一般的な思考、また、これまで持っていた概念のどこに甘さがあるのか、そこをついて、ときにはくだいて、これから掘り下げていこうとする問題点をはっきりさせる。これが効果的にできるかどうかが、本時の授業の成否を左右するといっても過言ではなかろう。 

(中略)児童たちは30分を費やして、心の葛藤をえぐりながら、ようやくたどりついた「しかられても、あとはすっきりするから、正直にあやまればいい」を打ち砕いているものである。

 児童たちの驚きは、「それでは、いったいどうすれないいのだろうか。」との、さらに、深い内面的な探求へと歩を進めている。

(中略)この段階は、価値へ志向する心理的な葛藤を深める段階ともいえるだろう。この心理的な葛藤が深化すればするほど、いいかえるなら、「それではいったいどうすればいいんだろう」とか、「どっちを選べばよいか」とかが、価値への志向において、また、実践への態度決定が迫られるによんで、一種の緊迫感を帯び、一歩も引けないぎりぎりの立場に立たされて、その決断が自己に問いつめられてくる。ここではじめて人ごとではない主体的な問いかけが自己の内面において成立する。いいかえれば、道徳的な価値の内面的な自覚ということが、45分という時間の枠の中で、集団を相手に成立するか否かが、実は、この段階が可能であるか否かにかかるということも過言でないということになる。

(以上)

上記の記述は、いわゆる「問い返し」や「補助発問」に当たる発問だと考えられる。そして、自分事として思考するということ、宮地の言葉を借りると「ひとごとではない主体的な問いかけが自己の内面において成立する」という状態になるためには、この種の発音がやはり大事になるということである。


(引用参考文献)

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)

2024/12/13

発問の分類「道徳問題の意識化・共通化をはかる発問」~宮地忠雄~


 宮地忠雄は、道徳科授業での発問を6つに分類しています。そのうちの「道徳問題の意識化・共通化をはかる発問」について、宮地は以下のとおり説明をしています。

(以下、引用参考文献から一部抜粋)

 個別的な生活経験が、相互のコミュニケーションによって共通化され「自分ばかりでなく、みんなにもそういったことがある」と気づく。このステップを押さえて、次になされることは、そこから本時問題にしようとする道徳問題を導き出し、ひとりひとりの児童に、その生活のどこが問題か、それを単なる生活問題としてではなく、道徳問題として意識させ、把握させることである。

(中略)現象として外面的に問題視されているものを手がかりにしながら、自己の内面に問いかけ、問題に対する自己の内なるもののあり方、傾向、弱さ、強さ、積極さ、消極さ、ずるさ、もろさ、等々に気づかせていくわけである。

(以上)

生活問題を道徳問題として意識させること、これは現在の道徳科授業においても大切にされていることです。例えば、上記の「生活問題」を「教材の中の問題」として置き換え、なぜそれが問題かを考えさせることで問いをつくることもできます。


(引用参考文献)

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)

2024/10/31

3年生「同じなかまだから」~価値理解の意識~


 日本文教出版社3年生「同じなかまだから」(内容項目:公正、公平、社会正義)の導入について考えます。

 本教材のポイントの一つは、とも子やひろしの「勝ちたい」という気持ちの扱い方です。「勝ちたい」という気持ちは決しておかしなものではありません。しかし、誰かを無理やり仲間から外して勝とうという気持ちは、決して公正なものではないでしょう。

 そこで、例えば導入で「運動会やスポーツ大会で、『勝ちたい』と思うことはいいことかな?」と尋ねます。多くの子が「いいこと」と答えるでしょう(実際に授業をした際には、「時と場合による」という発言もありました)。

 そして、授業中盤のとも子やひろしの「勝ちたい」という気持ちを想像させた時に、「この『勝ちたい』は、みんながいいと言っていた『勝ちたい』という気持ちと同じだね」と尋ねます。すると、「え!違うよ!」「ちょっと待って」というつぶやきが生まれます。そこで何が違うのかを話し合わせるのです。

 また、補助発問として、「もし、学級の運動が得意な子が指にけがをしていたら、同じように見学をすすめるのかな」と尋ねてはどうでしょうか。そうすると、おそらく「見学をすすめない」という反応が出てきます。「でも、それっておかしいよね。何がおかしいのかな?」と問い返すことで、「人によって接し方を変えてはいけない」などの公正、公平の価値観に気づくのではないかと考えます。

 教師が意識しておくべきことは、本教材での学びが、「運動が苦手な子も仲間に入れてあげる」などの「立場の弱い子を仲間に入れる」というものではなく、「人によって接し方を変えてはいけない」というような「公正、公平、社会正義」の価値理解に迫ろうとする意識ではないでしょうか。

2024/05/29

2年生「およげないりすさん」(4)

 本教材は、場面前半では泳げないりすさんがお願いをしても島へ連れていってもらえない場面が描かれていて、場面後半は「いっしょに島へ行こうよ」「僕の背中に乗りなさいよ」と島へ誘ってもらう場面が描かれています。

 場面前半で「僕もいっしょに連れていってね」と言ったけれど断れたりすさん。その時に悲しく感じたことでしょう。翌日に「いっしょに行こう」と言われても、すぐに納得できるものでしょうか。

 そこで、例えば「今日『も』ぼくは泳げないよ。昨日は連れていってくれなかったのに、今日はどうして誘ってくれるの?」という補助発問はどうでしょうか。りすは変わっていないけれど、かめ・白鳥・あひるの心情が変容したことを『も』という助詞を用いることで気づかせます。そのうえで、「3人の方がたくさん遊べるのに、なぜ今日は誘ってくれるの?」「3人より4人で遊ぶことのよさは?」と問い返すこともよいでしょう。

2024/02/23

発言を引き出す目的


 中心発問の場面で、子供たちから教師の思い描く発言が出てこないことがあります。公開授業を拝見していると、発言を引き出そうと教師が言葉を変えて何度も尋ねている姿が散見されます。しかし、同じようなことを尋ねられる子供たちは、教師の思いとは逆に、教師が何を求めているかがわからず、考える意欲を失いがちです。

 さて、子供たちから補助発問につながる発言が出なかった場合、どうすればよいのでしょう。そのときの状況にもよりますが、無理に子供たちから引き出そうとせず、「例えば、こんな考え方もあるかもしいれないけれど、どう思う?」というように、授業者が提示してもよいでしょう。大事なことは、補助発問につながる発言を引き出すのではなく、その発言(考え方)について対話を通して深めることだからです。

2024/02/12

6年生「手品師」(3)


 6年生教材「手品師」(日本文教出版)の教材分析です。

 学習指導要領解説において、内容項目A「正直、誠実」の指導の要点に「真面目さを前向きに受け止めた生活を大切にする」という記述があります。この記述と教材「手品師」との関連を考えてみましょう。

 手品師は、大劇場のステージに立つという判断をせず、一人の男の子の前で手品をすることを決断します。その手品師の判断に対して子供たちが納得・共感をできていないのなら、「手品師の行動は自己犠牲であり、判断がおかしい」という理解になってしまうおそれがあります。

 だからこそ、手品師が男の子の前で手品をしているときの気持ちについての共感が重要になります。そこで、「手品師はどんな気持ちだったかな?」と発問をするとともに、例えば、「もし、次の日に少年が来なかったら、手品師は後悔をしたでしょうね」とゆさぶってみてはどうでしょうか。「後悔しなかった」という子供の理解を、「後悔した」と理解している子供たちに聞かせることで、より高い価値の理解に導くことをねらうのです。

2023/10/15

小学校1年生「かずやくんのなみだ」(日本文教出版社)


 内容項目C「公正、公平、社会正義」の教材、「かずやくんのなみだ」について考えます。学習指導要領解説(P53)を読むと、低学年の「指導の要点」をもとに、例えば、以下のような補助発問が考えられます。

 本教材では、大変悲しいことに、ぼくやさとしくんを含む学級のみんなが、かずやくんを鬼ごっこに誘っていません。走るのが遅いという偏った見方が原因で、かずやくんは仲間はずれにされています。ぼくは、自分の考え方のおかしさに気づき、かずやくんを鬼ごっこに誘います。しかし、その時点では学級のみんなはそのことに反対かもしれません。

 内容項目Cでは、集団や社会との関わりについて考えることが求められます。そこで、本教材でも、ぼくとさとしくん以外の「みんな」を登場させてはいかがでしょうか。例えば、ぼくが気づかないふりをしている場面で、「みんなも同じようにしているのだから、正しいことだよね?」と尋ねるだけで、「おかしい」という意見が引き出せそうです。また、ここで「みんな」を押さえておくことで、その後のぼくやさとしくんの発言のよさを引き立たせることができます。

2023/10/13

3年生「まどカラスと魚」と役割演技


 内容項目「正直、誠実」の教材、「まどガラスと魚」(日本文教出版社 小学校3年生)での役割演技について考えます。

 役割演技は、演技後の対話が重要です。その際、観客役の子供たちに「演技を観た感想を発表してください」と発言を促したとしても、子供たちは何を伝えたらいいのか困惑してしまいます。また、演者に同じように尋ねたとしても、深い理解につながる感想は出てきづらいでしょう。

 演技後の対話のポイントを以下のようにまとめました。

 

 例えば、教材「まどガラスと魚」で、おじいさんとのやりとりを演技させるとします。その際、ボールを受け取る場面に着目してみます。すると、演者(千一郎)は、おじいさんからボールをどのように受け取るでしょう。ここまでの展開で正直でいることの大事さを考えてきた演者(千一郎)なら、おそらく両手で大事そうに受け取ることでしょう。その姿がどのように見えたかを問うことで、価値の深い理解につなげていくことができます。

 

2023/10/10

内容項目「正直、誠実」


 内容項目「正直、誠実」の授業づくり(低学年)について考えてみます。

 学習指導要領解説では、小学校低学年の指導の要点として以下のように記載されています。

 低学年の子供たちのポイントは、「他者から叱られたり笑われたりすることから逃れようとする気持ちが働く」というところです。この気持ちの働きは中学年以上の児童・生徒にも該当するものではありますが、低学年の指導の要点に記載されていることから、特にこの発達段階で考えさせるべきポイントになると考えられます。

 さて、学習指導要領解説に書かれていることから補助発問を考えることができます。低学年の子供たちに上記のような特徴があるのであれば、そのことを直接問うことが有効です。「でも、正直に言えば、怒られるかもしれないよ」と問う(ゆさぶる)ことで、「それでも正直に言わないといけない。だって、〜。」という発言が期待されます。この「だって、〜。」という発言の先に個々人の考え方こそ、道徳的価値の深い理解につながるものになるでしょう。

 なお、中学年以降の授業でもこの補助発問は用いられますが、どの発達段階でも同じ発問(ゆさぶり)をしてしまうと、それぞれの発達段階で考えさせるべき学習内容の理解に届かなくなる恐れがあるので、今一度発問について考える必要があるかもしれません。


【正直、誠実の教材例(日本文教出版社)】

 2年生「お月さまとコロ」、3年生「まどガラスと魚」、4年生「新次のしょうぎ」等