2021/08/11

いじりといじめ(2)

20210811 

小学校4年生「いじりといじめ」②(日本文教出版)


【落とし穴②】 

 この教材の落とし穴の二つ目は、「教材の分かりやすさ」です。昨日の記事で『題名を見て、本文を読む。この作業だけで、この教材で教えるべきことが理解できたような気がしてきます。』ということを書きました。

 教師にとって分かりやすいということは、子ども達にもわかりやすいということになります。しかし、この場合の「わかりやすさ」とは、あまり好ましくない意味になります。要するに、わかりやすさが学習意欲の高まりを阻害するということです。

 「道徳授業はおもしろいですか」というアンケートをしたとすると、「おもしろくない」という回答の理由は「答えがすぐにわかってしまう」というものが多いそうです。「すぐにわかってしまう」ということは、もしかしたら45分の授業時間をずっとわからないふりをさせるということになってしまうのです。なんて残酷なことでしょうか。


【わからないことはある?】

 答えがすぐにわかるクイズに魅力を感じないように、答えのすぐにわかる道徳科授業にも魅力はありません。では、「わからない」を生み出すには、どうすればいいのでしょうか。

 学びの主体は子ども達です。ですから、子ども達に直接、「わからないことはある?」と尋ねてみたらどうでしょうか。範読の後にこの発問をすることで、子ども達は「?」を探す眼鏡をかけているかのように教材を読み直します。すると、「わかった」つもりだったのに、多くの疑問が浮かび上がります。「いじりはいけない」という認識を土台として、さらに深く考えるための疑問を見つけ出そうとします。その疑問を整理してあげると、この授業の「めあて」が生まれ、子ども達は自分たちの疑問を解決しようと主体的に学び始めることでしょう。

 この教材を読んでの「わかった」は、実は「わかったつもり」だったのです。これは教師にも子ども達にも当てはまります。授業者である教師も、まずは教材の中にある「?」を探してみてはどうでしょうか。そして、子どもになった気持ちで考えてみるのです。

 さて、この「わからないことはある?」の発問は、学び手を信じることが必要です。発言を想定しておくという事前の準備も必要です。もちろん、「わからないことは、ない!」という学級であれば、その理解を揺さぶる発問も準備しておきます。学び手を信じて任せるということは、教師はそれ以上に様々な想定をすることになりますが、どうぞその過程を楽しんでもらえたらと思います。その過程が、授業づくりの醍醐味だと思っています。


【逆を問う】

 他の方法も考えてみましょう。教材を一読すると「いじりはいじめにつながる行為だから、いけないものだ」というようなゴールが見えるということを述べてきました。しかし、きっとこの授業のゴールはもっと深いところにあるはずです。そこで登場する手法が、「逆を問う」ということです。

 「いじりはいけない」と認識している子ども達に、「本当にいけないのかな?」と問いかけてみてください。子ども達はきっとザワザワとすると思います。「えっ!?先生、何を言っているの?」と不安を覚え、自分の認識を疑いだすことでしょう。立場を明確にさせてみると、もしかしたら「絶対ではない」や「どちらとも言えない」という立場の子どもも現れるかもしれません。子ども達の中に、認識の「ずれ」が生じるのです。この「ずれ」を議論の発火点として、学びを深めていくことができます。


【学びの必然性】

 道徳科の授業づくりで大切にしたいことの一つに、「学びの必然性を生む」ということがあります。教師が「めあて」を提示して授業を始めることが多いかもしれませんが、その時の子ども達の意識(思考)はバラバラな状態かもしれません。その際に、まずは課題づくりに取り組ませてみると、子ども達は学びの必然性、いわゆる主体的に学ぼうとするのです。

 また、「本当にそうなのかな」「なんだか、おかしいな」と自ら疑問を抱く力を育てることも大切です。この力は、物事の本質を問いただすための大切な力であり、道徳科の授業で育てたい資質・能力でもあると思っています。

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