2021/08/18

問いをもつ人(2)

問いをもつ人②

【問いを持ち続ける人を育てる】

 「よりよい道徳性について問いを持ち続ける人を育てる」ということについて前回に続いて述べていきます。教師だけが「問う人」の立場となり、常に子ども達に問いを与え続けても、子ども達は自ら問いを立てられるようにはなりません。では、どうすればいいのでしょうか。


【問いを持ち続ける人を育てる(1)対話時間の確保】

 授業の中で、子ども達が問いを立てる時間を保障する。子ども達が問いを生み、その問いに対して自ら解を見つけようとする時間を確保してみましょう。まずは、範読後の時間になるでしょうか。

 範読を終えた瞬間、子ども達は「問い」を抱きます。それは、教材に対してかもしれませんし、授業そのもの(授業を受ける価値があるかどうか)に対しての問いかもしれません。いずれにしても、材との出会いを通して、子ども達は何かしらの反応(問い)を示します。まずは、その反応(問い)を大切にしてあげましょう。自由に対話する時間を確保してあげるのです。

 ただし、そこには教師の覚悟が必要です。なぜなら、教材や価値に対する批判的な発言があるかもしれないからです。様々な反応を事前に予想しておく教材研究の覚悟と、その予想を上回る子どもの反応も受け入れて授業をつくる覚悟が求められます。


【問いを持ち続ける人を育てる(2)教師の発問】

 もちろん、導入の時点で問いが生まれることもありますし、授業の中で問いが変化(深化)していくこともあります。しかし、当然のことですが自由に対話させたら必ず「解」が見つかるわけではありませんし、「問いを持ち続ける人」が育つわけではありませんそこには、教師の「発問」というコーディネートが必要となります

 教師の発問により、子ども達の「わかっているつもり」から、「あれ、おかしいな?どういうこと?」という「わかっていない」に気づかせるのです。子ども達の当たり前の認識をくずしてあげるのです。この、「わかっていない」が「わかりたい」「すっきりしたい」という学習意欲を生み、自らの違和感(問い)を解決しようと主体的に考え始めるきっかけとなります。そして、授業の時間内で解決できなかった場合、授業後も自然と議論を続ける姿を見ることができるでしょう。

 また、魅力的な発問(違和感を生む発問)そのものに、実は道徳的な見方・考え方が隠されています。例えば、立場や視点を変えたり、複数の道徳的価値による葛藤を生んだりするような発問です。日頃からこのような発問に包まれていると、子ども達も自らの問いをもった際に同じように思考するようになります。教師の多面的・多角的な思考過程を子ども達も共有するというイメージです(ただし、教師はその共有を超える発問を常に考え出そうとすることを求められます)。逆を言うと、「当たり前のことばかり発言させられる」ような発問ばかり授業では、子ども達は自ら問いをもつということを放棄させてしまうともいえます。

 子ども達の対話の時間を確保するとともに、発問を通して新たな見方・考え方を子ども達と共有していく。こうすることが、「問い続ける人」を育てるために大切にしたいことになります


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