2021/08/14

問いを持つ人(1)

問いを持つ人

【道徳科授業の課題】

 1年生の子ども達は、新しい教科書を手に取り、ワクワクしながら授業に臨みます。教師の出す発問に対して自分なりの答えを考えようとします。6年生や中学校での授業も見てみます。ここでも、教師の出す発問に対して自分なりの答えを考えている子ども達の姿を見かけます(残念ながら、考えようとしていない場面もよく見かけますが)。

 さて、9年間の道徳科授業の積み上げを考えた際、実はこの姿に課題があるのではないでしょうか。その課題とは、「教師の発問に対して、子ども達が考える」という構図です。「問う立場」と「答える立場」が固定されていることを課題と感じるのです


【道徳性】

 「問う人」という役割は必要です。多くの場合、それは教師になるかもしれません。しかし、その役割が教師であり続ける必要はありません。子ども達に委ねる勇気を教師は持たなければなりません。授業に対する教師の固定観念を崩すのです。

 「よりよい道徳性について問いを持ち続ける人を育てる」、私はこれが道徳科の目指すべき児童・生徒の姿であると思っています。道徳性とは決して「心の問題」だけではなく、社会(他者や自然、いのち)と自分とのつながりを道徳性ということができます。ですから、道徳性を育てるとは、そのつながりに目を向けさせることになります。

 授業では教材を用いるので、「社会とのつながり」を教材という眼鏡を使って可視化させ、問いを見つけさせます。授業とは、教材を用いて道徳性(社会とのつながり)についての問いを解決していく時間になるべきなのです。そして、問いのきっかけは教師が与えたとしても、その問いを発展・持続させるのは子ども達自身であってほしいのです。なぜなら、学びの主体は子ども達だからです。


【問いをもつ人】

 ある日の授業で、「ぼくは〜という考えなんだけど、授業をおもしろくするために〜という考え方を発表します」という発言をしました。そのときは、「そんな気遣いはいらないよ」と笑って伝えましたが、今ふり返ると、それはその子の中にある問いに対して、様々な視点や立場で考えている過程であったと思っています。自分で解決しようとしている過程を、みんなに知ってほしかったのです。「なぜ、そのような考え方ができたの?」「あなたの中にも複数の意見があるのですね」と声をかけることで、その子の「問いをもつ力」を育てられたのではないかと反省しています。なお、「問いをもつ」とは、問いを見つけ、「なぜ?」を積み重ね、よりよい解を導こうとする一連の思考プロセスのこととします。


【考え議論する力】

 「特別の教科 道徳」の目標の中に、「多面的・多角的に考え議論する」という文言があります。様々な立場や視点で物事を考えたり、条件(時や対象など)を変えて未来を想像できる力は、まさに子ども達に身につけさせたい力であります。また、議論を対話と捉えたとき、自分の意見が受け入れられる喜びを味わうことや、どんな意見にも意味があることを知ることも、道徳科授業を通して身につけさせたいものになります。受容的な対話の仕方も、道徳科の授業だからこそ学べるのかもしれません。

 「問いを持ち続ける」ということと、「考え議論する」ということを広い意味で同義と捉えたとき、教師の「多面的・多角的に考えさせよう」という意識を「多面的・多角的に考える力を身につけさせよう」と変えることで、きっと道徳科の授業づくり過程が大きく変化することでしょう。


(参考)

『「道徳」をうたがえ!自分の頭で考えるための哲学講義』2013 小川仁志 NHK出版


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