2021/08/04

二わのことり(1)

教材研究 小学校1年生「二わのことり」〜発達段階を考慮して〜


【やまがらの悲しさ】

 昨日の記事で「発達段階を意識する」ということに少し触れました。本日は実際に教材を通して考えてみようと思います。教材は小学校1年生の定番教材、「二わのことり」(友情、信頼)です。本文は教科書で確認ください。

 さて、この教材の最後の文章を抜粋します。


(以下、教材から抜粋)

「よくきてくれましたね。きょうはもうだれもきてくれないかとおもっていたんです。」やまがらは、うれしそうにいいました。

 やまがらの目には、うっすらとなみだが見えました。

(以上)


 誕生日会に誰も来てもらえなかった、やまがら。その様子を想像するだけで、読み手は悲しい気持ちにさせられます。(もし、我が子の誕生日会に友達が誰も来てくれなかったら・・・。そう考えるだけで涙が出てきそうです。なんて悲しい教材なのでしょう。)

 ここで着目したいのは「やまがらの目には、うっすらとなみだが見えました」のところです。中心発問としてよく活用される場面ですね。ところで、この涙は、「嬉しい涙」ですか。それとも、「悲しい涙」ですか。じっくりと考えてみてください。


【嬉しい涙】

 もし、この涙を「嬉しい涙」とするのならば、一つ疑問が生じます。それは、一年生の発達段階として「嬉しくて涙が出る」ということを理解できるのかということです。おそらく、日常生活で嬉し涙を流した経験はないのではないでしょうか。「涙=悲しい」と認識している子が多いでしょう。そのような1年生の子ども達に、「やまがらの涙を見て、みそさざいはどんな気持ちだったのでしょうか」と発問をすると、どのような反応が予想できるでしょうか。教師のねらいとして「やまがらが喜んでいる気持ちを想像させたい」と思うのなら、その喜びに気づかせる手立てが必要になるでしょう。


【悲しい涙】

 逆に、この涙を「悲しい涙」とするのならば、子ども達の思考は「反省」の方向に向かいます。「悲しい思いをさせてごめんね」「次からはあなたのことも大切にするよ」。そのような発言が出てくるでしょう。それだけでは、この教材でのねらい「相手が喜んでくれると、自分も嬉しい」という道徳的価値に気づきにくくなるかもしれません。


【受容するということ】

 この涙の理由に正解を決める必要はありません。なぜなら、悲しさもあり、喜びも生まれたのですから。さみしい思いを経験したことのある子は「悲しい涙」と理解するでしょうし、いつも友達とたくさん遊んでいる子は「嬉しい涙」と理解するかもしれません。大切なことは、それらの意見の理由を教師が「受容する」ということです。「もっと聞かせてほしいな」「なるほど。そう考えるのだね。みんなもわかるかな?」と受容してあげることで対話が始まります。その対話の中で、友達の意見との共通点を見つけたり違いを理解したりすることが、深い学びにつながるのです。


【授業づくりの視点】

 さて、このように発達段階を考慮して教材を読む視点を大切にすることで、授業展開や補助発問のイメージが浮かび上がってきたり、様々な手立ての必要性を感じたりできます授業においても、自然な対話の発生が期待できます。他にも、「この学級なら」「気になるあのの子なら」という、担任の視点も大切にできると、この時、この学級だからこそできる道徳授業が生まれます。

 なお、道徳科の授業づくりで意識したい発達段階については、学習指導要領解説に書かれていますので、ぜひそちらを参考にしてください。

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