自分を物語る授業(5)〜その思いを受けついで〜
【何をふり返るか】
授業の終末に「ふり返り」の時間をとります。その際、子ども達は何をふり返るべきなのでしょうか。授業のねらいによって様々な「ふり返り」が存在すると思いますが、今回は「自分を物語る」と「ふり返り」の関係について考えてみます。
【自己を見つめる】
「自己を物語る」ためには、まずは自己の経験や考え方を見つめるという行為が必要だと考えられます。学習指導要領解説に、「自己を見つめる」ことについて以下のように記載されています。
(以下、抜粋)
自己を見つめるとは,自分との関わり,つまりこれまでの自分の経験やそのときの考え方,感じ方と照らし合わせながら,更に考えを深めることである。このような学習を通して,児童一人一人は,道徳的価値の理解と同時に自己理解を深めることになる。また,児童自ら道徳性を養う中で,自らを振り返って成長を実感したり,これからの課題や目標を見付けたりすることができるようになる。
(以上)
この「自己を見つめる」の記載を、内容ごとに分けて考えてみます。すると、自己を見つめるとは、この4つを統合させたものであると考えられます。
(1)これまでの自分の経験や考え方、感じ方と照らし合わせる
(2)道徳的価値の理解と同時に自己理解を深める
(3)自らを振り返って成長を実感する
(4)これからの課題や目標を見付けたりする
【自己を見つめるふり返り】
6年生「その思いを受けついで」のB児の感想(一部抜粋)を紹介します。
(以下、一部抜粋)
「まだぼくが小さい時に亡くなったひいおばあちゃんからもらった人形があって、その人形はぼくの名前と姉の名前が書いてあるものがありました。ぼくと姉が受け取った時、一人の看護師の人が「おばあちゃんが何度も手に針が刺さりそうになりながら作ったのよ」と言っていたのを今でも覚えています。ぼくは、「なんでそこまでして作るの」と思っていましたが、今は、なぜそこまでして作ったのかがわかるような気がします。姉はそれをもらってニコッと笑いました。ぼくは、悲しいのに姉がニコッと笑った意味がわからなかなったけれど、今はやっとわかったような気がします。」
(以上)
B児は、きっとこの思い出を記憶の奥にしまっていたのでしょう。誰にも話すことはなく、自分の心の中にしまっていました。しかし、授業の中でその記憶が鮮明に浮かび上がってきました。過去と現在がつながりました。その記憶の中の出来事を今の自分が見つめることで、過去の出来事に新しい意味を持たせていったのです。
さて、この感想を先ほどの4つの観点をもとに整理してみます。
(1)【これまでの自分の経験や考え方、感じ方と照らし合わせる】
→まだぼくが小さい時に亡くなったひいおばあちゃんからもらった人形があって、看護師の人が「おばあちゃんが何度も手に針が刺さりそうになりながら作ったのよ」と言っていたのを今でも覚えています。
(2)【道徳的価値の理解と同時に自己理解を深める】
→ぼくは、「なんでそこまでして作るの」と思っていましたが、今は、なぜそこまでして作ったのかがわかるような気がします。
(3)【自らを振り返って成長を実感する】
→ぼくは、悲しいのに姉がニコッと笑った意味がわからなかなったけれど、今はやっとわかったような気がします。
このように、B児の感想は、まさに道徳科授業が大切にする「自己を見つめる」というふり返りとなっていました。なお、(4)の「これからの課題や目標を見付けたりする」ということについては感想の中に記述はありませんでしたが、B児の心の中には授業の中で感じた「命のつながりの温かさ」と、これから大切にしていきたい目標のようなものが確かに存在していたのではないかと感じています。
また、B児は授業中にこのような発言をしています。
「最後の文に「おじいちゃんの温かな、そして強い思いが僕の胸に押し寄せた」とあるのですが、今、この気持ちが分かるようで・・・。僕はまだ小さい時だったのですが、ひいおばあちゃんがたまにバスでこっちに来てくれた時に遊んでいて、最後にお人形をもらったのですが、その時にこの大地くんのような気持ちになりました。だから、すごく共感できました。」
この「授業中の発言」と「ふり返りの感想」を比べてみても、B児の学びの深まりを感じられます。授業中の発言では、中心人物の心情を自分ごととして共感し、自らの心情を整理している状況にあります。教材という眼鏡を使って自己を見ようとしている状態です。それが、ふり返りの感想では、自分の内面に目を向け、過去の出来事の意味や今の自分が新たに気づいたことを整理している状況にあります。まさに、道徳性を養うという過程にあるのです。
このように、道徳科の授業での「ふり返り」は「自己を見つめる」という活動と同様の意義があり、「自分を物語る」ことは「ふり返り」にも大変効果的であるといえるのではないでしょうか。
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