2021/08/21

自分を物語る授業(4)〜その思いを受けついで〜

自分を物語る道徳授業(4)〜6年生「その思いを受けついで」〜


【過去の感情への価値づけ】

 6年生「その思いを受けついで」(日文)の授業の様子を紹介しています。「ちょっと長くなるのですが・・・」という発言の後、子ども達は教材と自分とのつながりに目を向け始めました(この「つながりに目を向ける」が道徳性を育む要因であることは前述しています)。教材を通して自分の経験(過去)を想起し、その時の感情を伝え始めたのでした。過去の感情を自覚させ、その感情の意義を自ら価値づけすること、これがまさに道徳科の授業が目指す営みなのかもしれません。


【自分を物語る】

 授業の中盤、Aさんからこのような発言がありました。 

​「私も、まだ物心がついていない時に、ずっとおじいちゃんに遊んでもらっていたのですが、おじいちゃんが亡 くなっても遊んでもらっていた時のことをずっと覚えているので、この話を読んで共感できました。」

 ここまで発言した後、Aさんの目から涙がこぼれました。教材の「ぼく」に感情移入して流れた涙ではありません。教材を通して自己をふり返ることでこぼれた涙でした。

 授業後のふり返りで、Aさんはこのようにノートに書きました(一部抜粋)。

「私は、まだ物心つかないうちにおじいちゃんが亡くなりました。でも、物心ついていない時でも、いっしょに遊んでくれた日のことや場所、入院してベットで寝ている時の表情、おじいちゃんが死んだ時に夜中に駆けつけたこと、病室の様子、お葬式のときのことを今でもはっきりと覚えています。昔、この話を友達にした時に笑われたのがとてもショックでした。病気に冒されていてもずっと遊んでくれていたおじいちゃんのことは今でもずっと大好きです。今の話し合いで、おじいちゃんのことを思い出して泣いてしまいました。今までおじいちゃんのことで泣いたことはあるけれど、こんなに深く考えて泣いたことはなかったので、今日、改めて命のつながりを感じることができました。」

 きっと、Aさんはおじいちゃんとの話を記憶の底に隠していたのでしょう。一度友達に話をした時に笑われてしまったことがきっかけで、重い蓋をかぶせてしまいました。しかし、この授業で、自らその「心の蓋」を外しました。そして、その思い出を物語ることで、今の自分が過去の悲しい出来事に「命のつながりの温かさ」という価値をもたらしました。この瞬間、Aさんの心は未来へ向いたはずです。

 このような一連の流れが「よりよい道徳性を育む」という教育活動になるのではないかと私は思っています。 ​​​​


【思考の公開性】

 この授業での教師の発問はほぼありませんでした。子ども達の『物語り』が次々と出てきたからです。大切にしたことは、子ども達の『物語り』を受容するということ。そして、それに対しての思いを丁寧に伝えることでした。教師の思考を公開し、思いをきちんと伝えようとしました。これも、子ども一人ひとりを大切にした対話の型の一つであると思います。

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