2021/08/01

共感するって、なに?

「共感する」って、なに?


1 「想像」したら「共感」になるのか

 「〇〇の気持ちを想像させることで、~の喜びに共感させる。」という、指導案で定番の学習活動。ところで、「共感」とはどのような状態のことなのでしょう。人物の気持ちを「想像」したら共感したことになるのでしょうか。ここでは、「共感」という言葉について考えてみましょう。

 

2 「共感」の定義

「わたし」=「あなた」という共感

 「わたし」と「あなた」を同じものとして扱う。「わたし」が「あなた」の気持ちになれるということ。

「わたし」は「わたし」、「あなた」は「あなた」という共感

 「わたし」は「わたし」。「あなた」は「あなた」。相手のことを「わからない」という前提で、限りなく正確に相手の気持ちを理解しようとすること。相手の感情には混じり合わず、自分を相手に近づけていく。「あなたのことがわかるよ」ではなく、「あなたのことをもっと知りたい。だから、もっと教えてほしい。」となる

 さて、この2つの「共感」、どちらか道徳の授業の「共感」にふさわしいのでしょうか。結論から述べると、どちらも大切な授業の要素となってくるのです。


3 道徳の授業で身につけさせたい「共感」の力

 教材の人物の心情を想像して自分ごととして考える際には、「わたし」=「あなた」という共感が重要となります。そうすることで、自分のこととして道徳的な問題の解決策を考えることができるからです。人物に自分を重ねて道徳的問題解決をすることで、人物の困難や喜びを自分の経験として新たに獲得できます。

 しかし、例えば二項対立の議論が白熱し、学級の友だちの意見に納得できない場面などでは、この「わたし」=あなた」の共感だけでは難しくなります。「あなた」を学級の友だちとした時、「なぜ私の意見に賛成しないの?」「あなたの考えは間違っている。おかしい!」という思考が生まれてしまうからです。そして、次に生じるのは、自分の考えを相手に押し付けることを善とする、「徳の騎士」と呼ばれる行為です。自分の思いを理解してもらえない時、その思いは他者への批判材料となってしまいます。議論が活発な学級にこそ、「わたし」は「わたし」、「あなた」は「あなた」という共感も必要になってくるのです。


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