1年生教材「はしの上のおおかみ」について、前回は「対比」と「動作化」について考えてました。本日は二つ目の工夫(教材分析)となります。
さて、この教材を読んでいると、ふと疑問に感じることがあります。
『おおかみは、うさぎを抱き上げて後ろにおろしてあげるより、一本橋をゆずってあげた方がよかったのではないか』
いかがでしょうか。もしかしたら、学級の子供たちの中にもこのように感じる子がいるかもしれません。もし、授業の中でこのような質問が出たら、どのように答えてあげたらいいのでしょうか。
道徳科の授業では、時に教師の発問(ねらい)とは一見関係のなさそうな感想や疑問が出てきます。その際、「お話の世界だから」や「今は関係がないから、また後でね」と教師が答えてしまうことは避けたいものです。これでは、教師の求めている答え以外を発言してはいけないというメッセージになってしまいます。また、子供の視点で抱く素直な疑問(言葉)から授業を作り上げていくことは、主体的な学びを生む要素となります。真剣に教材の世界に入っているからこそ様々な疑問が浮かび上がるのです。まさに多面的・多角的に考えている姿として、しっかりと認めてあげてほしいと思います。
さて、この疑問(おおかみは一本橋をゆずってあげた方がよかったのか)について考えていきましょう。確かに、道を譲ってあげた方がうさぎも安心して通れたかもしれません。しかし、おおかみは「抱き上げて、後ろにそっとおろしてあげる」という行為をしたいと思っていたのです。それはなぜか。おそらく、くまの真似をしたかったのでしょう。
直前の場面で、「おおかみはくまの後ろ姿をいつまでも見ていました」という記述があります。おおかみは、くまの優しさにふれ、自分もくまのようになりたいと強く願いました。だから、「くまと同じように、抱き上げて後ろにおろしてあげる」という行為をしたのです。
これを「あこがれ」と呼ぶことができます。おおかみは、親切なくまにあこがれを抱き、自分もそうなりたいと願った。では、くまのどのような姿に「あこがれ」を抱いたのか。そのことを子供たちに考えさせてみると、「おおかみ=自分自身」として考えている子供たちは、自分の憧れる親切な人を想像するようになります。いわゆる、「なりたい自分を想像する」という学習活動にもなります。このように考えさせていくことで、「親切」という言葉への理解が広がるかもしれませんね。
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