教材「手品師」は、江橋照雄氏が作成された教材です。江橋氏の「手品師」についての思いは『道徳教育』(2013年2月号)に掲載されています。授業をするにあたり、ぜひ一度は読んでみてほしいと思います。
さて、手品師の行動について批判的に捉える意見があります。その一つは「方法論」を提示してくるものであり、この教材を現実的ではないと論ずるものです。「置手紙をする」「あとで大舞台に呼ぶ」などの方法は簡単に思いつきます。このことに対して、江橋氏は記事の中でこのように反論しています(『 』の中は『道徳教育』(2013年2月号)の記事をもとに筆者が要約)。
『方法論を考えると、どんな理由をつけても少年の立場より自分の都合を優先することになる。どのように考えても、自分勝手になってしまう。』
どのような方法を考えようとも、少年より自分自身の「欲」を優先しようとする姿がそこにはあります。手品を通して人に幸せを届けたいと思っている手品師にとって、それは耐えがたい現実になるのでしょう。だからこそ手品師は大舞台への誘いをきっぱりと拒否できたのです。このように考えることができるからこそ、「手品師」という教材を扱う意義があるのではないかと思います。
また、「手品師の生き方は自己犠牲的精神であり、現代の子供たちの学習内容として相応しくない」という批判についても、江橋氏は反論しています。
(以下、『道徳教育』(2013年2月号)の記事より抜粋)
『自己犠牲的な生き方はよくないという人がいるかもしれません。あれは、自己犠牲なのですか?そうではありませんよね。例え有名になっても、心に曇りがあっては幸せではありません。自己犠牲と捉えるのは、人間を冒涜しています。』
(以上)
先日の研究会での学びの中で「本当は劇場に行きたいのに、約束をしてしまったから仕方なく少年のところに行ったのでは、手品師の道徳性は下がったことにならないか」という意見がありました。もし手品師が大舞台を選んだとしたら、きっと心を曇らせたまま、いつまでも少年への申し訳なさを抱いていたかもしれません。あとでいくら償いをしたとしても、それは晴れるものではないのでしょう。そのことを手品師はわかっていたからきっぱりと決断をできたのであり、自己を犠牲にするという気持ちではなかったのではないでしょうか。授業を通して、手品師のこの判断基準を理解させることを意識すると、授業の展開や発問も自ずと見えてくるのかもしれません。
ここまで述べてきたことは、子供が一人で教材を読んだとしても決してたどり着くことができない見方・考え方です。だからこそ、教室という空間で友達と学び合う意味があるのです。教師一人でも辿り着くことはできないでしょう。だからこそ校内研修や様々な研究会があるのです。主体的に学ぼうとする教師がいるからこそ主体的に学ぼうとする学級が育ち、子供たちは様々な見方・考え方を獲得することができるのです。
「手品師」という教材は、まさにこのことを強く意識させてくれる教材であると思います。また、このように考えるきっかけを与えてくれた研究会の皆様に強くお礼を申し上げたいと思っています。
《参考引用文献》
『道徳教育2013年2月号』(明治図書出版、2013)
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