先日の記事で「ここで怒ったら、あとでもっとひどいことをされる」という児童の発言について論じました。この発言は子供たちの生活背景から生まれる発言であり、道徳科授業で大事にしたい発言になります。しかし、この思考過程は他者(本教材ではのりお)の思いや経験に対する関心はなく、自分を守ることだけに着目している思考だといえます。他者に対して「無関心」なのです。
さて、この「無関心」について、髙宮(2020)は『無関心という寛大』(ブルーム,1998)という概念を説明しています。現在、多様性が強く求められていますが、多様性とは他者の意見を無条件に受け入れることではありません。これは、他者に対して閉じている状態になります。他者を理解しようとせず、無条件に受け入れたり許したりすることは、「無関心という寛大」の増加につながるということです(下図参照)。
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』を参考に筆者作成
教材「折れたタワー」においても、ひろし(中心人物)になったつもりで、のりおの行為の背景に関心をもち、自ら対話しようとする経験をすることを通して、他者を理解しようとすることのよさと難しさを実感することが必要だと言えるのではないでしょうか。
《参考引用文献》
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(2020,北大路書房)
0 件のコメント:
コメントを投稿