道徳科授業は「対話を通して自己の生き方を考える」ことを目的としています。逆の視点から考えると、「対話ができる」ということが道徳科授業が成立するための絶対的な条件となります。
しかし、4月の学級開きの時点で対話が成立する学級はありません。年間を通じて対話が成立する学級集団を作っていくことが必要となるのです。では、そのために大事になることは何でしょうか。
よく見かけるのが、教室前面に「話型」を提示するというものです。しかしながら、その掲示物が色褪せていることもよく見かけます。「話型」の提示だけでは、私は十分ではないと考えています。では、どうすればよいのか。
一つの提案として、日々の授業の中で、発問を通して対話を促していくということを意識してはどうかと思っています。ある子の発言に対して、教師が「なるほど。いいね」と応えるのではなく、「◯◯さんの意見について、どう思う?賛成?反対?」と尋ねるのです。「◯◯さんの考えに、納得できる?」と、一人の意見を全体に返していくのです。教師は対話のファシリテーターとなって子供たちの意見をつなぎ、対話に生み出すのです。
この「一人の意見を全体に返す」ということは、子供たちが「他者の意見をよく聴く」という効果も生み出します。これこそ、対話の必須条件になるのではないでしょうか。
他にも、対話を重視するのであれば机の配置への配慮も必要です。子供同士の対話を求めるのに机の向きが黒板に向いているのであれば、私は違和感を感じます。学級の人数にもよりますが、子供同士が目を合わせられる向きにしてあげるだけで、「対話が大切だよ」という暗黙のメッセージになるでしょう。
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