2022/04/24

折れたタワー(2)


 5年生教材「折れたタワー」について考えていきます。

 本日は、本教材の登場人物「のりお」に注目してみましょう。マスク忘れのぼくに対して「どうしてくれるんだ」「あやまれよ」と、大きな声でどなる姿。級友のまさるが諭してくれた後も、ぶつぶつ文句を言っている姿。どうでしょう。教室の「あの子」を想像できませんか。おそらく、そのような姿と日常的に接している先生も多いのではないでしょうか。

 本教材の授業前半で、のりおの言動に対して怒りを抱かせる展開(発問)がよく見られます。僕(ひろし)の悲しみや怒りに共感させることで、後半の発問につなげるためです。

 しかし、道徳科の授業のなかで安易に「悪者」を作り上げていいのでしょうか。他者への怒りを誘導する必要があるのでしょうか。私は反対です。その子の特性を理解しようとせず、行為のみで悪者を作り上げるようなことを道徳科授業ですべきではないと考えています。

 のりおは、ひろしのマスク忘れについて大きな声で怒ります。もしかすると、給食当番という役割に人一倍責任感をもっているのかもしれません。作品を壊してしまったことも、もしかすると不注意でいつも同じようなことをしてしまい、心の中で反省をしているかもしれません。のりおは、給食当番に対して、忘れ物やマスクの用意に対して、どのような見方をしているのでしょうか。そのことを考えさせることが大事なのではないでしょうか。

 だからこそ、のりおを悪者に仕立て上げるのではなく、想像を広げさせ、のりおの見ている景色や思いを理解しようとすることを授業前半に取り組んだほうがよいと考えます(ここでは構成的グループエンカウンターのエクササイズ「短所を長所に」が効果的です)。それに、もしのりおを悪者に仕立てたとすると、学習内容は「気に入らない相手も許してあげることが大切だ」というようなものになってしまいます。しかし、学習指導要領解説の内容を読んでもそのような記載はありません。

 解説に書かれている内容をまとめると、「相手の考え方や意見、立場を広い心で謙虚に受け止めることで、自分の見方や考え方が豊かになる」ということを自覚させることが大切になるのです。「気の合わない相手を我慢して許す」のではなく、相手が大事にしていることや思いを知り、それを受け止めることで自分の見方が豊かになる」という内容を学ばせることこそ、本教材のねらいになるのだと考えます。

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