学級でトラブルがありました。あなたは担任としてどのように声をかけますか。
A「なぜ、そんなことをしたのか?」を尋ねる。
B「どのようになりたかった(したかった)のか?」を尋ねる。
多くの先生は、子供たちの話をしっかりと聞こうとします。事実を正確に聞き取り、その原因を探り、今後の対応策を考えます。このような対応は一般的であり、誠実な対応だといえるでしょう。
しかし、「この尋ね方ではうまくいかなかった」という経験をもつ先生も多いのではないでしょうか。この対応は、上記のAになります。トラブルの原因を尋ねているのです。しかし、このような尋ね方では、その責任の所在は相手側に存在することになります。「相手が◯◯をしたから、私は〜をした」となります。
上記のBは、自分のイメージを語らせることになります。「私は◯◯をしたかった(なりたかった)」となります。語るべき対象が自分になるのです。
道徳科授業と同じように、自己を語ることで、そこに違和感が生じます。「自分が正しい」と思っていた子が、自己を語ることでその違和感を自覚し、行動をふり返り、よりよい行為を想像できるようになるのです。そうすることで初めて、他者の行為の意味を理解し、自らの生き方(友達との関わり方)を考えることができるのです。
道徳科授業で重視されている「対話(自分をふり返る)」は、日々の学校生活でも大事にしていくといいでしょう。
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