「主な人権課題」とは、法務省が国民全員で解決すべき問題と定める日本国内での人権課題であり、「こども」「高齢者」「障害のある人」など16の課題があります。
ある年、「小学校で認知症について学ばせてほしい」という要望がありました。それを受けて、副読本を活用して認知症について学ぶ道徳科授業に取り組みました。対象は5年生です。中学校3年生の教科書には「一冊のノート」という認知症を扱った教材がありますが、小学校教科書にはありませんでしたので、副読本の使用としました。
「認知症」を扱うにあたり、まず考えたことは「知識があるかどうかで理解や実感が大きく異なる」ということです。人権教育には「知識的側面」「価値・態度的側面」「技能的側面」の3つの側面があります。本授業を考える際、教材の中の母親(祖母に対してやさしく接している)の気持ちについて考えさせたとしても、認知症についての知識がないと議論が成立しないと判断しました。
そのため、地域の包括支援センターに相談をして、認知症についての特別授業をしてもらうことにしました。ただし、突然にその特別授業を実施したとしても、子供たちの心には何も届かないかもしれません。知識がないということは、自分ごととして話の内容を捉えられないと思ったからです。
そこで、2時間扱いの授業を計画しました。1時間目は道徳科の授業として教材を使って学習。その様子を地域包括支援センターの職員の方々に参観してもらいました。予想通り、「認知症の祖母に対する母のやさしさについてどう思うか」という問いに対して意見が対立しました。しかし、ここではどちらかの意見を取り上げて新たな価値理解をうながすということはしませんでした。
2時間目は、地域包括支援センターの方々による特別授業です。認知症の症状や医療ケアの難しさ、また、教材の人物の気持ちについて専門家の立場から意見をもらいました。ペープサートを作ってきてくださったのですが、教材にはいない「お医者さん」も登場し、わかりやすく説明をしてくれました。
下記は、2時間目の授業後の児童感想の一部です。
改めて「私の祖母」についてふり返ります。私は母がやさしすぎると思っていたけれど、認知症のことを聞いて、「いや、でも、やさしくしてあげてもおかしくないのかな?」と思い、でも私は、「やっぱり・・・」という感じです。でも、前よりはお母さんの気持ちがわかるようになりました。もう一度話し合いがしたいです。 |
ぼくは、はじめはお母さんが優しすぎて、なんでそんなにやさしくするのと思っていたけれど、今は全然違います。お母さんは、おばあちゃんがもっとひどくならないためにやさしくしているとわかったから、お母さんの愛情がすごくて、認知症の勉強をして、こんなにも自分の考えが変わるなんて思ってもいませんでした。 |
どちらの児童も、1時間目を終えた時の感想は、「あまりやさしくしてはいけない。ダメなことはダメと伝えるべきだ。それもやさしさだ」という意見を持っていました。しかし、2時間目を終えた後は、新たな見方・考え方を獲得しているように思います。
道徳科授業でゲストティーチャーを招くことは大変意義のあることです。多様な大人に接することは、子供たちの未来を明るく照らすことにつながります。しかし、ただ招聘するだけではその効果も薄れてしまいます。授業者のねらいとゲストティーチャーの思い、そして児童生徒の実態が合致させることで、はじめて感動が生まれる授業となるのです。
今回はあえて1時間目の授業で子供たちの実際をゲストティーチャーの方々に見てもらうことにしました。「5年生の子供たちは、もっと知識があると思っていた。でも、とても真剣に話し合っている様子に驚いた。」という感想をもっておられました。
子供たちにとっても、1時間目の授業での真剣な対話をがあったからこそ、2時間目の特別授業でも自分ごととして真剣に聞くことができました。感想からも感じられますが、自分の考え方を見つめることができ、今後の生き方について思いを深めることができていたように思います。
人権課題を扱う授業では、どうしても「知識」が必要な場合があります。45(50)分の授業の中で知識と価値・態度(心)の両方を意識することが難しい場合は、今回のように2時間扱いとすることも考えてみてはどうでしょうか。また、外部の方の力を積極的にお借りする(ゲストティーチャー)ことで、子供たちの学びをより深められるかもしれません。