2022/02/01

リフレクティング・プロセス 会話における会話と会話


 道徳科授業について学んでいると、「対話」という行為について研究をする必要性が生まれてきます。なぜなら、道徳科授業は「対話」によって成り立つからです。

 さて、本日は「精神医療分野における対話」についての書籍として、トム・アンデルセン著の『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』をもとに道徳科授業の在り方を考えてみます。

 対話場面での子供たちの様子を見ていると、チラッと授業者の顔色を伺うことはないでしょうか。この「顔色を伺う」という行為に対して、「正解かどうかを伺っている」など、あまり好意的ではない評価がされています。「顔色を伺わない」ということが正解のようにされている風潮があるように感じます。

 ここで、トム・アンデルセンの論を紹介します。

(以下、著書より抜粋)

私が出会った人たちは皆、出会いを通して自己の完全な状態を維持することに多大な関心を寄せておられる。私の言動によって相手の会話がオープンなものになるか、閉鎖的なものになるかは決まる。私が相手を観察しているとき、その相手は実際には私の観察しているのを観察しているのである。両者とも観察するポジションにいるわけである。私が自分が普段と違いすぎるようになったことを示すサインがあるかどうかをよく観察している。私は私が観察していることに対する相手の反応を観察することによって、間接的には自分自身の観察に対する観察者となることができるのである。

(以上)

 「私が観察をしているとき、その相手は実際には私の観察しているのを観察している」という表現に着目すると、私たち授業者を子供たちが観察することは至って当たり前のことであり、そこに是非はないということを知ることができます。「顔色を伺う」ということは対話の過程であり、そこにどのような意味を持たせるかは、その対話そのものが決めるものであり、その過程を授業者がどのようにデザインをするかが授業づくりの基礎となってくるのではないかと考えます。


《引用参考文献》

トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)

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