2022/02/06

変わった質問


 トム・アンデルセンの著書『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』から、授業者が行う「発問」というものを分析していきます。

 (以下、著書より抜粋)

 我々の課題は、さまざまな人がどのように自分の記述や説明を創り出しているかを理解するために、できる限り多く対話するように心がけることである。それから、我々は彼らがいまだかつてみたことのない別の記述があるかどうか、まだ考えたこともない別の説明があるかどうかを論じる対話へと導くようにする。ある意味で、我々は、人生の過程には見たことのないものや考えたことのないものが常に存在するということを認めさせながら、その考えについて交換し合う流れにのっている我々の仲間入りをするように彼らを促しているのである。

 換言するならば、すでに描かれていたものの他にも、描くための多くの別の特徴が常に存在するということである。新しい特徴を描く際に我々にとってもっとも有用な道具はまだ要求していない質問である。適度に変わった質問は行き詰まったシステムにもっとも寄与するのである。

 自分で問題状況を規定しておきながら、そこにじっとしている自分自身を発見した人は繰り返し繰り返し同じ質問を自分自身に投げかけるのに慣れている。我々がこの規定された問題に対する新しい理解を生み出す過程に寄与するとき、我々は彼らとの会話中に変わった質問をするほかに、どのようにしたら彼らのそれぞれが新しい質問をしはじめる可能性を生み出すことができるだろうか?と問うてみる。言い換えれば、それは、どのようにしたら、我々が話しかけている相手が自分自身に新しい問いかけをしはじめる可能性を作り出すことができるかということである。

(以上)

 この記述の中に、「問う」ということについての本質があると感じました。我々は、何のために「問う」のでしょうか。なぜ「発問」を吟味するのでしょうか。

 トム・アンデルセンによると、「他者(私たちの場合、児童生徒)が自分自身に新しい問いかけをしはじめる可能性を生み出すため」ということになります。子供たちは、それまでの生活経験の中で、内容項目についての理解をすでにもっています。しかし、その理解は一面的なものであったり様々な場面が想定されていなかったりするものです。そのような理解だけでは、自分の考えに固執してしまうものです。上記の記述の中でいうと、「そこにじっとしている自分自身」というものになるでしょう。

 そこで必要なのが「変わった質問」をするということになります。この「変わった質問」こそ、私たちが考えるべき「中心発問」と捉えてよいのではないかと思います。


《引用参考文献》

トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)

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