道徳科授業ではワークシートをよく使用します。近年では教科書についている道徳ノートを活用している学校も多いかもしれません。どちらにしても、「書く」という活動を道徳科授業でどのように位置付けるのかの議論は必要です。「書く」という学習活動の目的を明確にする必要があるでしょう。
まず、「書く」ことのよさを考えてみます。
(1)書くことで自分の考えを整理できる。
(2)思考を外在化させるという手段を用いることで、全員が考える手立てとなる(一部の子の発表だけにならないようにする)。
(3)「言葉を選ぶ」ことにより、自分で気づいていない自分の考え方を自覚できる。
(4)書いたことをもとに他者と比較できる。
このようなよさが考えられます。
次に、「書く」ことの問題点も考えてみます。
(1)話し合いの流れが途切れる。
(2)「すぐに伝えたい!」という思いが生かされない。
(3)文章を書くことに苦手意識をもっている子に対しての手立てが不足している。
などが考えられます。
ここで意識しておきたいことがあります。道徳科のワークシートでは自分の考えを自由に書かせることが多いと思います。しかし、道徳科授業でのみ、「自由」に書かせてはいないでしょうか。他教科の授業では教師の板書しか写させていない(いわゆる正解のみを書かせている)教室では、道徳科授業でも自由に自分の考えを書くということに抵抗をもつ子がいるかもしれません。「人と違う=間違い」という雰囲気の教室では、自由は苦しいものとなってしまいます。ですから、「自分の考えや思いを書く」という活動を他教科でも積極的に取り入れることで、それがまた道徳科授業にも生かされるのではないでしょうか。
さて、先日から紹介をしている、トム・アンデルセンの著書『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』の中に以下のような記載がありました。
(以下、一部抜粋)
会話には、会話が行われる過程について思考するのに十分な休止が必要である。また、会話は、触れたいと思うそうした考えを人に選択させ、その愛着を表現できる言葉をみつけさせるだけの時間をかける必要がある。
(以上)
この「会話の中での十分な休止」こそ、ワークシートを書かせる意義になるのではないかと考えます。静かに書いている時間は、対話のために必要な要素であるといえるでしょう。「たくさん書けた」という結果を見るのではなく、「他者の意見や教材の人物の行為をもとに自分を見つめられた」という過程こそ、価値ある活動になるのです。
最後に、道徳科授業で最も書かせる場面といえば、やはり「ふり返り」(終末)の時間ではないでしょうか。では、なぜ「ふり返り」を書くのか。それは、「学級で学んだ成果をもとに自らについて考える学び」として自己をふり返るためです。この「ふり返り」こそ、道徳科授業の本質ではないでしょうか。
《引用参考文献》
トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)
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