2022/02/03

顔色を伺うということ(2)


 道徳科授業での、子供たちの「教師の顔色を伺う」という行為について述べています。

 実際の授業場面ではそのような光景は当たり前に見られます。その時、授業者はどのように対応をすればよいのでしょう。

 まず、前述したとおり「教師の顔色を伺う」という行為は善でも悪でもなく、子供たちの素直な反応であると認識しましょう。自分の意見と友達の意見の違いに気づき、その違和感や不安が生まれた結果、教師を見るという行為になるのです。よく考え、よく聴いているということなのです。

 そのうえで、私自身は「問い返して広げる」という手法が大事だと考えています。

 例えば、「あれ?みんなはなぜ先生を見たの?もしかして、先生の意見が気になっている?」と直接尋ねてみます。

 または、「もしかして、みんなも何か感じたのかな?」「自分の意見と違うと感じたから、不安になって先生の方を見たのかな?」と尋ねてみてはどうでしょうか。

 大切なことは、「教師を見る」ということを悪と見なして注意をするのではなく、子供たちがもつ違和感を自覚させてあげること、そしてその違和感から全体への対話につなげてあげることではないでしょうか。このような教師の見方や声かけこそ、他者を理解させることや自分を見つめさせることのきっかけになると思っています。

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