3年生「さと子の落とし物」(2)
【ポイント③】
昨日に続き、小学校3年生教材「さと子の落とし物」(B友情、信頼)の授業づくりについて考えます。
この教材では、授業前半のみんな(主に男の子)は、さと子の失くした鍵を探しにいくかどうかで悩んでいます。楽しみにしていた「陣地取り」を男子だけでするか、女子に合流して鍵を探すか。最終的には「遊びは、いつでもできるよ。手伝ってやろうよ」という一声で、みんなで川原に行くことにしました。
さて、この場面でのみんな(男の子)の気持ちは、どれぐらい「絶対に見つけてあげたい!」という思いになっていたのでしょうか。もしかしたら、とりあえず探してあげようと思っていた子もいるかもしれません。
しかし、いざ探し始めると、「ゆっくりとはうように」「砂まみれになりながら」、真剣にみんなが探します。この心情変化の理由は、何なのでしょうか。どのくらいの時間をかけて、このように変化したのでしょうか。その間、どのような会話がされていたのでしょうか。さと子に声はかけたのでしょうか。子ども達に想像させてみましょう。自分たちで場面の状況(設定を)考えさせることは、登場人物と自分たちの距離を近づかせることにつながります。脳がリアルに状況をイメージすることで、自分ごととして考えるきっかけになるのです。
また、この様子をみて、さと子はどのように感じたでしょうか。もし自分がさと子だとしたら、「もういいよ、ありがとう。みんなに迷惑かけてごめんね。」と言うかもしれません。「砂まみれになりながら、なぜそこまでして探してくれるの?」と尋ねたくなるかもしれません。このような質問をしたら、教材のみんなはどのように答えるでしょうか。実は、この質問に「さと子の落とし物」という教材の本質が隠されている気がしています。
【ポイント④望ましい姿を共有する】
「砂まみれになりながら、なぜそこまでして探してくれるの?」と尋ねられたら、教材の中のみんなはどのように答えるのか。その対話場面に役割演技を取り入れることも効果的です。
演技の中で、「なぜ必死に鍵を探すのか」という理由が演者(児童)から語られます。その言葉こそが、この教材で考えさせたい「望ましい姿(道徳的心情)」、いわゆる共通解となるでしょう。そして、その「共通解」を自分ごととして児童一人一人が受け取り、自己を見つめるための視点とする。そうすることで得られるものが、道徳科授業でのいわゆる「納得解」になるのです。
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