(1)一番を決める
先日の記事で6年生「わたしのせいじゃない」の授業記録を紹介しました。この授業では、一つ目の発問で「最もひどいのはどれだと思いましたか」と尋ねています。教材に登場する14人の人物の発言の中から一つを選択して、ネームプレートを貼るという活動です。
ネームプレートを貼ることで全員参加を促すねらいがあります。また、思考を見える化させることで、その後の活発な対話につなげることもできます。
さて、どれか一つを選択させると、学級の中で意見が分かれます。「叩いた」という発言を選ぶ子も多いでしょう。直接的な暴力を許せないと考えている子達です。「では、直接叩いていない人物は許してあげる?」と尋ねてみると、「えっ!?でも・・・」という返事が返ってくるかもしれません。そうなれば、全体へのゆさぶりの瞬間です。
同様に、「存在を忘れていた」「その子が悪いのよ」などを選択する児童もいるでしょう。直接叩いていないかもしれないけれど、いじめに加担していると考えられる発言に対しての怒りです。ここでは、その人物(発言者)を「積極的傍観者」と名付けてみましょう。対して、「ぼくは何もできなかった」と発言している人物もいます。これを「消極的傍観者」と名付けてみます。おそらく、「消極的傍観者」を最もひどいと選択する児童は少ないかもしれません。一見すると、いじめに加担していると感じづらいからです。
しかし、この教材のねらいは「消極的傍観者」の存在に気づくことになります。だからこそ、はじめの発問では「直接的暴力者と積極的傍観者の理不尽な言動を許せない」という心情を育てるとともに、「消極的傍観者」の存在にも目を向けさせる段階となります。
(2)並び替えをする
授業中盤では、グループごとに14人の発言を並び替えさせています。もちろん正解はありません。並び替えがすぐに終わることもないでしょう。ここで大事にすることは、並び替えという活動を通して多面的・多角的に考え議論させるということです。
教材の中に、いじめの背景などは出てきません。14人の発言のみ描かれています。だから、授業のはじめは発言のみに注目している状況になります。しかし、並び替えという活動の中で友達との意見が異なった場合、「でも、〜だから」「もし〜だとしたら」という発言が生まれてきます。自分の思いを伝えるために、人物の発言やいじめの背景を自然と分析するようになるのです。これが、多面的・多角的に考えるということになります。教師が発問を用意するのではなく、場の設定が多様な思考を生み出す支援となっているのです。
また、並び替えをしている中で、自然と「許せない」「ひどい」という思いも沸き起こってくることも予想されます。「悪を許せない」という道徳的心情が育っている瞬間です。その心情の育ちを感じられるつぶやきが聞こえてきたら、それを全体に広めてあげることで、学級集団の成長につながります。
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