書籍紹介「オープンダイアローグ 私たちはこうしている」
本日は、森川すいめい氏の『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』(医学書院)の書籍をもとに道徳科授業について考えていきます。
「オープンダイアローグ」は1980年代に開発された精神疾患に対する治療方法です。その特徴は「対話」を中心としたミーティングを重ねることによって治癒をもたらすところにあります。
森川氏は著書の中でこのように述べています。
『未来のことはすべて不確実です。答えが見つかったように思えても、すべては未来のことゆえに、そもそも答えがないのかもしれません。なのに支援者だけが頭の中で解釈を進めて、「この人はこういう人だ」「あの人はここで住むことができない」「入院させたほうがいい」などと結論を出して、支援者だけが不確実なところから脱出している。よくあることです。』
いかがでしょうか。この文章を読んでハッと気づくことはないでしょうか。私は日々の道徳科授業の反省が思い浮かびました。子ども達が活発に話し合っている場面。しかし、授業者である私は頭の中に結論を用意している。話を聞いているふりをして、その後の問い返しに使えそうな発言を探している。そのような自分の姿が見えました。まさに私は「支援者(授業者)だけが不確実なところから脱出」していたのです。
日々の授業の中で、教師がチョークを持って黒板の前にいることは当たり前の光景です。しかし、対話を通して自己を見つめさせることを大切にする道徳科において、果たしてそれでよりよい対話が成立するのでしょうか。教師という専門職がいる空間(教室)では、否応なしに教師を起点(中継)する対話が生まれます。もちろん、子ども同士の対話が成り立っている教室もありますし、タブレットPCを活用した新たな授業形態も構築されていくと思いますが、現状では教師による発問で対話が進むことが多いでしょう。
対話における重要な役割をもつ教師は、もっと子ども達の輪に入るべきかも知しれません。チョークを置き、子ども達の世界に入っていく。そうすることで、初めて生み出される対話もあるということです。
また、森川氏はこのようにも述べています。
『専門家自身が「聞きたいこと」を聞こうとする。聞きたいこととは、診断や治療にとって、またその後の支援のために役立つ情報でした。しかし医師が診断のために聞きたいと思うことと、患者さんが何に困り、何を相談したいかとは異なることに気づいていきます。』
このことも、教師として自戒の念を生じさせます。授業の中で教師が聞こうとする(板書する)のは、その後の展開に役立つ発言。でも、子ども達が本当に考えたい・伝えたいことは、もっと他のところにあるかもしれない。そう捉えると、子ども達の発言に対する教師の意識も変わってくるのではないでしょうか。
生徒指導にも同様のことがいえます。何かしらのトラブルがあった際、教師は事実を聞き取り、指導します。しかし、大切にすべきことは、子ども達の「思い」を聞いて、不安や困り感を「解消」させることなのではないでしょうか。そのような視点を教師は忘れてはいけないと反省させられます。
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