対話のことば(1)
(1)オープンダイアローグ
1980年代に開発された精神疾患に対する治療方法として「オープンダイアローグ」という手法があります。オープンダイアローグの特徴は「対話」を中心としたミーティングを重ねることによって治癒をもたらすことにあります。
今回は、オープンダイアローグにおける対話の在り方を紹介している『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』という書籍を参考に、道徳科授業における対話について考えていきます。
(2)本人が生きている「世界」を感じ取る。
『相手から聞いた話を、自分の捉え方や常識に当てはめて理解すると、その人が意味しているところを理解することにはなりません。そこで、その人がどのように物事を捉え、どのような「世界」に生きているのかを、対話を通じて理解していきます。』
(以上、「体験している世界」より抜粋)
道徳科授業において、子ども達の発言を教師の都合のよい解釈で理解してしまう光景を見かけます。研究授業など、求めたい発言を教師が強くイメージしているときにこのようなことが多いのではないかと感じています。
子ども達は、本当はどのようなことを伝えたいのでしょうか。教師の見えている世界と、子ども達の見えている世界は異なります。事実は一つかもしれませんが、同じ事象に対しての見方はそれぞれです。
だからこそ、道徳的諸価値に対する見え方を、子ども達の目線で捉える努力が教師には必要です。教師による見え方のみで授業を考えると、それは価値の押しつけになる恐れもあります。教師の常識で捉えない。日々の関わりの中でも大切にしたいものです。
(3)ひとりの人として
『専門的な役割・立場から問題を解決しようとすると、相手が受身な姿勢になり、主体的に自分のことを語ることができなくなります。そこで、オープンダイアローグでは、専門的な知識を脇に置き、同じように今を生きている一人の人間としてその場に参加し、関わります。相手の目の目にいる一人の人間として、話を聴き、心が揺さぶられてもよいのです。』
(以上、「ひとりの人として」より抜粋)
ここでも道徳科授業に置き換えて考えてみます。教師という存在は、本人が望まなくても教室における特権をもつ存在です。「教師と児童(生徒)」という関係性の中では、子ども達も本当の思いを伝えられないことが多いのです。
子ども達の発言を聞き返すとき、「発言を評価する」という習慣が身についていないでしょうか。「この発言は使える」など、その後の授業展開に役立つ発言を聞き出そうとしていないでしょうか。
子ども達の意見を傾聴する。そして、子ども達の発言に心を揺さぶられるという経験を教師はたくさん重ねるべきです。相手(子ども)に敬意を抱き、愛おしく思う。心から話を聴こうとする教師の姿勢は、きっと子ども達にも伝わります。そうすることで、主体的に伝えようとする意欲も育つことでしょう。
《参考図書》
井庭崇・長井雅史『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』丸善出版
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