6年生「わたしのせいじゃない」(3)
(1)授業のゴール
この教材を扱った授業のふり返りを想像してみます。子ども達の言葉で「いじめはいけないと思いました」とだけ書かれたノートを見ても、おそらくは学びの深まりを感じられないでしょう。授業をしなくても、6年生の子ども達はそのようなことを書くことができるからです。
ここで、一度立ち止まって考えてみましょう。世の中の大人は「いじめはいけない」という答えのみを教えすぎてきたのではないでしょうか。もちろん、いじめは理屈抜きにいけないことです。でも、答えのみを教え続けることで、子ども達は思考を停止させてしまっているのかもしれません。
例えば、親子が揃って「いじめの是非」について時間をとって語り合えている家庭はどれほどあるでしょうか。教室で、子ども達が「いじめ」や「差別」について自然と対話している姿を見かけることはあるでしょうか。
おそらく、いじめをしてはいけない理由について本気で話し合ったり、自分の行動をふり返ったりできる機会は、子ども達の日常の中にはありません。だからこそ、道徳科授業が大事になるのです。
さて、授業のゴールについては登山をイメージすると分かりやすいでしょう。頂上は「いじめはいけない」という強い決意になりますが。そこに至るまでにどのような過程を辿らせるか、その過程が道徳科授業のねらい(ゴールイメージ)になるといえます。
この教材での授業でいうと、「傍観者という存在に気づかせる」という学びが、頂上につながる一つの過程になるでしょう。具体的には、「〇〇という活動を通して、いじめにおける傍観者の不公正さに気づかることで、〜。」となるでしょう。
(2)授業例(『 』は教師の発言)
『感想をどうぞ』
「私のせいじゃないと言って、みんなのせいにするのはよくないと思いました。」
「見ていただけでも悪いのに、私は悪くないと言っているのはずるいと思いました。」
「みんながやっているからと言って自分もやるのはおかしいと思いました。」
『最もひどいのはどれだと思いましたか。黒板に磁石(名札)を貼りましょう。
(理由を説明しましょう)』
「自分が叩いたのに、やられている子のせいにしているのは悪いと思ったからです。」
「【面白くない子だ】というのはひどいと思ったからです。」
「見ているだけだったら止めたらいいのにと思いました。」
「その子のことをほとんど忘れていたということは、このクラスにその子はいらないということだと感じたので、そこに貼りました。」
「少しだけ叩いたと言っているけど、自分の中の少しだけというのは、叩かれている人と感覚が違うと思うからです。」
『小さく印刷したものを用意しているので、許せない順に並べましょう。』(班活動)
「え〜!!」「むずかしい!」
(カードを並び替えながら話し合う)
『「ここまでは許せる」「ここからは許せない」に分けてください。』
(カードを使って話し合いが続く)
『今、これらのことをされているのが自分だとします。このクラスの出来事だとしたら、その線を引いたところまでを許せますか?』
「許せない!」
「すごく変わる!」
「立場が自分だったら絶対に許せません。」
「自分がいじめられているときに友達がこんなこと言ったら、友達じゃないと思う。」
『自分だったらと考えると、どれも許せない人が多いのではないかな。友達がこういうことをされていたら、どうする?そのようなことも考えてふり返りを書きましょう。』
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