『対話主義は、方法論でもないし技術体系でもありません。それは他者の他者性を承認し尊重し、なんとかそこにたどりつこうとする態度を意味するのです。』
これは、「オープンダイアローグ」を開発したユバスキュラ大学教授のヤーコ・セイックラの著書の一節です(「オープンダイアローグ」については過去記事を御覧ください)。
この一節に、私は自身の授業観の見直しを迫られました。「活発な対話を促したい」と考えたとき、どのような「手法」があるのか、どのような「発問」をすればよいのか、そのようなことを第一に考えました。しかし、ヤーゴ・セイックラは「対話主義とは、態度である」と述べています。他者は他者であり、私は他者のことを理解することはできない。だからこそ、それを認め、なんとかわかろうとする「態度」こそ、対話に必要な要素であるということです。
道徳科の授業において、子供たちの意見をわかったつもりになっている自分がいました。しかし、本当は子供たちのことを全く理解していなかったはずです。自分の都合のいいように発言を解釈し、「わかったつもり」になっていたのだと、この一節から気づかされました。
《引用参考文献》
ヤーコ・セイラック トム・アーンキル著 斎藤環 監訳『開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる』(2015, 医学書院)
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