2021/08/31

3年生「さと子の落とし物」(1)

20210831

3年生「さと子の落とし物」(1)


【学習指導要領解説に込められた授業づくりのヒント】

 本日は小学校3年生教材「さと子の落とし物」(日文)について考えます。内容項目はB「友情、信頼」です。

 まず、学習指導要領解説を見てみましょう。「友情、信頼」の指導の要点(中学年)を読むと、以下のことが書かれています(文中(1)(2)は筆者による)。

(1)気の合う友達同士で仲間をつくって自分たちの世界を確保し、楽しもうとする傾向があり、集団での活動などがこれまでになく盛んになる。

(2)しかし、自分の利害にこだわることで、友達とトラブルを引き起こすことも少なくない。

 学習指導要領解説のこの2つの記述が、授業づくりのポイントになりそうです。


 まず(1)について、気の合う仲間同士という部分について考えます。このことは、教材文の「すぐ近くだから、みんなで探しに行こう」という女の子の会話に込められていると考えます。やさしい女の子たちがみんなで探しに行こう」と言っていますが、実際に声をかけたのは女の子だけのようです。女の子の考える「みんな」という言葉の中には男の子は入っていなかったのでしょうか

 また、男の子の会話にも、気になる言葉がありました。「女の子だぞ、ほっとけよ」という会話です。まさに、「自分たちの世界を確保」している状態です。

 学習指導要領解説から考えると、これらの会話に発問を考えるヒントがあることがわかります。

 次に、(2)について考えます。キーワードは、「自分の利害」です。教材には「男子だけで始めようか」「そうしよう。そのうちに帰ってくるよ」という男の子の会話が描かれています。この会話には、「陣地取りをとして楽みたい」という男の子の「利」が隠されています。

 このことから、この「利」を手放してさと子の鍵を探しに行こうと決めた男の子たちの心情変化が大きなポイントになることがわかります。


【ポイント①困っている人は?喜んでいる人は?】

 「困っている人は誰ですか」このように尋ねると、きっと「さと子」と返ってきます。しかし、教材後半で「喜んでいる人は誰ですか」と尋ねると、「みんな」という返答に変化します。「あれ?さと子が困っていたはずなのに、なぜみんなが喜んでいるのかな?」と、教材の前半と後半の変化を尋ねることで、この教材で考えさせたい道徳的価値について気づかせることができます。


【ポイント②みんなって、誰?】

 授業前半の「みんな」は、女子だけ、男子だけでした。それが、鍵を探す場面では女子と男子という「みんな」になります。でも、もしかしたらさと子はその輪に入ることができていなかったかもしれません。鍵を失くした不安や焦りを感じていたからです。しかし、鍵が見つかる場面で、さと子はにっこりと笑顔になります。他のみんなも大喜びです。この瞬間、学級全体が「みんな」となれたのです。このように、「みんな」という変化を追うことで、相手(この教材では、さと子)の気持ちを考えた行動をすればお互いにうれしくて満足感が得られるということに気づくことができるでしょう。

2021/08/30

役割演技をやってみる(3)

役割演技をやってみる(3)

【演技の練習は必要ですか?】

 役割演技に取り組ませるために、どのような準備をしたらよいでしょうか。このような質問を受けることもあります。最初にお伝えしたいことは、事前に演技の練習をさせることは不要だということです。演技をするということが目的ではないからです。それに、シナリオ通りにうまく演じることも目的とはしません。即興的に演じさせることで、演技の中の世界と現実とつなげ、道徳的価値や自分自身に対する気づきを得ることを目的とするのです。

 「演技」という名前がついているので勘違いを起こしやすいのですが、実際の役割演技は、教材の人物と自分が重なります。演技中の言動が人物の言動と一致するのです。それゆえ、誰かから求められる人物像を演じるのではなく、教材の設定や心情理解をもとに、ありのままの自分で役割演技という対話をすればいいのです。


【演技のタイミング】

 どの場面で役割演技を取り入れたら効果的ですか。このような質問を受けることもあります。正解は存在しませんが、道徳科授業における役割演技は、この二つの場面で演じさせることが多いようです。


(1)中心発問の場面

 中心人物の変容が最も大きい場面です。授業者は人物の心情や変容の理由を問うことが多いでしょう。その問いに対して、子ども達は人物に自我関与して発言しようとします。その発言(行為)を演じさせることで、人物の心情を自分ごととして実感的に理解することをねらいます


(2)教材のその後

 教材によっては変容する姿のないまま終わってしまうことがあります。そのような教材では、「教材のその後」を演じさせることも効果的です。「このあと、どのように感謝を伝えたのかな?」というように、明るい未来を想像させ、演技させるのです。道徳的価値についての深まった理解を基に即興的に役割が演じさせ、道徳的行為のよさを実感的に理解させる効果が期待できます

2021/08/29

役割演技をやってみる(2)

役割演技をやってみる(2)

【役割演技の魅力】

 これまでの道徳授業では小学校低学年の授業で役割演技を見かけることが多くありました。かわいいお面をかぶり、緊張しながら演技をしている様子を先生方がにこやかに眺めている。子ども達は「ぼくも!わたしも!」と演者に立候補し、演じることを楽しんでいる。なんともにこやかな光景です。

 しかし、この演技は本当に子ども達の「深い学び」につながっていたのでしょうか。役割演技という活動は、即興的・自発的に演じさせることで他者への共感や自分自身(道徳的価値)についての気づきを深めさせることをねらいます。演技の上手さを見合ったり、たくさんの子どもに演じる経験をさせることを目的とするものでは決してありません。

 では、どのような役割演技を求めていく必要があるのでしょうか。ここで、ある児童の感想を紹介します。5年生で中心人物を演じた際の感想です。

(以下、感想)

 私は(中略)最後の場面を演じた。演じてみた時の心が今も残っている。とても苦しかったし、焦りもした。主人公もたぶん、心が苦しくなったと思った。自分と主人公が一体化の人間になった気持ちだった。その上、こんなに苦しくなったのは今までなかったし、地面にひびが入って足場をなくしている状態みたいだった。非常にわかりやすかった

(以上)

 この児童は、授業の中でよりよい道徳的行為について真剣に考え、発言していました。その発言を教師が見取り、演者に指名しました。「やりたい人?」と演者を募集をしたわけではありません。

 演じることを通して、この児童は「道徳的行為の難しさ」を実感しました。その上で、その行為の大切を見つめ直し、どのように発言・行動をすればよいかを深く考えようとしました

 その様子を見ていた観客役の児童も、自分たちが発言していたことと現実(演技)とのずれ(違和感)を感じ、演技を観ることを通して改めて自分ごととして道徳的価値について考え始めました。

 このような「実感」や「違和感」を感じられる役割演技こそ、道徳科授業における「効果的な手法」であるといえるのではないでしょうか。決して演技をさせることが目的ではなく、演技することでどのようなことを感じさせたいのか。どのような発言や葛藤を引き出したいか。そのようなことを考えさせる役割演技が求められていると言えます。

 また、この児童の感想から分かることがもう一つあります。それは、役割演技は決して低学年のみに向いている手法ではないということです。言葉として自己の思考を表現できる高学年や中学生にこそ、演じることを通して「発する言葉」と「内面の思考」とのずれ(違和感)を感じさせることができ、その違和感から改めて道徳的価値の理解を考えさせることができます。それゆえ、実は高学年や中学生にこそおすすめしたい手法なのです。

 もちろん、「さあ、演技をしましょう」というような指示では、きっと恥ずかしさを感じてしまい演じることに抵抗を感じてしまうことでしょう。発言を通して生徒自らの視点を自覚させ、自然と演じることに導いていく。そのような配慮(手立て)はもちろん必要となります(このことについては、また後日お伝えします)。


(参考図書)

R・J・コルシニ 2004 心理療法に生かす ロールプレイング・マニュアル 金子書房

早川裕隆  2017 実感的に理解を深める!体験的な学習「役割演技」でつくる道徳授業 明治図書


2021/08/28

役割演技をやってみる(1)

役割演技をやってみる(1)

【役割演技とは?】

 役割演技は、アメリカの精神科医であるJ.L.モレノ(1889-1974)が考案した心理療法としての心理劇(サイコドラマ)から派生した手法です。台本のない劇の中で特定の役割を即興的・自発的に演じさせることによって、他者への共感や自分自身についての気づきを深めさせます


【なぜ、役割演技?】

 学習指導要領解説の中に、「道徳的行為に関する体験的な学習等を取り入れる工夫」として、このような記載があります。

(以下、抜粋)

 道徳的諸価値を理解したり、自分との関わりで多面的、多角的に考えたりする ためには、例えば、実際に挨拶や丁寧な言葉遣いなど具体的な道徳的行為をして、礼儀のよさや作法の難しさなどを考えたり、相手に思いやりのある言葉を掛けたり、手助けをして親切についての考えを深めたりするような道徳的行為に関する体験的な学習を取り入れることが考えられる。さらに、読み物教材等を活用した場合には、その教材に登場する人物等の言動を即興的に演技して考える役割演技など疑似体験的な表現活動を取り入れた学習も考えられる。

 これらの方法を活用する場合は,単に体験的行為や活動そのものを目的として 行うのではなく、授業の中に適切に取り入れ、体験的行為や活動を通じて学んだ内容から道徳的価値の意義などについて考えを深めるようにすることが重要であ る。 

(以上)

 このように、役割演技を通して、自分との関わりで多面的・多角的に考えさせ、道徳的価値の意義について考えを深めさせることをねらいます 。


(参考図書)

R・J・コルシニ 2004 心理療法に生かす ロールプレイング・マニュアル 金子書房

早川裕隆 2017 実感的に理解を深める!体験的な学習「役割演技」でつくる道徳授業 明治図書


2021/08/27

書籍紹介『「つながり」を育み 授業を愉しむ』

「つながり」を育み 授業を愉しむ

【つぶやき】

 本日は書籍紹介のコーナーです。 園田雅治氏の『「つながり」を育み授業を愉しむ』(解放者出版)を紹介します。

 この本で着目したのは、「つぶやき」についての記述です。園田氏は、この書籍の中で「つぶやきの大切さ」について以下のように述べています。


(以下、書籍より)

 生徒のつぶやきは生活に即したつぶやきであり、教材と生徒の距離を縮める役割がある。そのつぶやきを拾い、両者のつなぎ役を担うのが教師の仕事なのだ。

 「つぶやき」は教師が意図する学校知と、学習者が経験的に知っている生活知、その両者の接点で瞬時に生じる花火だ。これは新たな学びの貴重な入り口である。無論、生活上のつぶやきを発することができる開かれた空気づくりも教師の重要な仕事である。

(以上)

 つぶやきについて、これほど見事に表現できるものなのかと感心させられました。つぶやきを「学びの火花」と捉える。授業者にとって大切な視点であると考えます。


【教師の在り方】

 また、園田氏は教師の「授業に対する意識」についても述べています。

(以下、書籍より)

 今、多くの教師達は教材研究、そして細部にわたる授業の進め方について日夜奮闘している。しかし、子どもとの応答が思い通りにいかず、悩む教師も多い。そんなとき、「この子たちは聴く力が全く育っていない」などと、子どもの所為にしていないだろうか。そうではなく、こちらの「聴かせる力」を問い、これを磨き続けたいものである。

 (以上)

 まさに、「その通り!」と声を出してしまいます。子ども達が主体的に学ぶことができるよう、「聴かせる力」を日々磨いていきたいものです。

2021/08/26

2年生「るっぺ どうしたの」(3)

2年生「るっぺ どうしたの」(3)

【学習活動を考える】

 これまでに「るっぺ どうしたの」の授業づくりについて考えてきました。今回は、実際の授業でどのような学習活動が考えられるかについて述べていきます。


【わがままって、何だろう】

 この教材の主題が「わがままをしないで」とあります。これまでに「るっぺはわがままなのか」「るっぺを悪者にしてほしくない」ということを述べてきました。では、「わがまま」とはどのような様子のことをいうのでしょうか。

 「わがまま」という言葉は幼い子でも知っています。しかし、その言葉のもつ概念は人それぞれです。それぞれに理解の異なる言葉であるのなら、素直に「わがままって、どんなことかな?」と尋ねてみたらどうでしょうか。学習のテーマを与えるとともに、理解のずれから「考えたい」「伝えたい」を生み出します。


【誰が困るのかな】

 教材の3つの場面で、それぞれ誰が困るのかを考えさせることもできます。子ども達に尋ねると、どの場面でも「自分」も「相手(友達)」も困るということが見えてきます。この活動を通して「わがまま」という言葉の概念理解につなげることもできます。


【できていることは何?】

 道徳科の授業では「自己肯定感」を育むことも重視されています。この教材で授業をする際、るっぺの困り感を理解させるとともに、「自分もできていないなぁ。これからはがんばろう」と気づかせることが必要だと述べてきましたが、学級の実態に合わせて、「自分にはこんなにもできていることがある」と気づかせることに重点をおく授業も考えられます。

 例えば、黒板に提示された3つ場面に笑顔マーク(マグネット)を貼っていくというようにすると、たくさんの笑顔マークのおかげで「僕たちはできているんだ」という肯定感を感じられることでしょう。


【動作化と役割演技】

 「ランドセルから荷物がこぼれる」ということが想像できない子たちには、動作化を通してそのショックを体感させてみてもいいでしょう。予想していたより大変な状況だと理解でき、るっぺへのアドバイスを真剣に考え出すことが期待できます。

 また、アドバイスする場面を役割演技させることもできます。その際、るっぺ役は教師でもいいでしょう。なぜなら、「できない」「注意される」という場面を演技させることは、児童の心につらい気持ちを芽生えさせてしまう恐れがあるからです。また、教師が演技することで、「でも・・・」と問い返すこともできます。そうすることで演者の即興的な演技を引き出すことも可能になります。もちろん、るっぺの視点で真剣に考え、よりよい自分(るっぺ)になりたいと感じている児童がいるのなら、その児童に演技をさせても大丈夫です。


【「ねばならない」をなくす】

 ここまで述べただけでも様々な活動が考えられますが、正解(不正解)となる活動は存在しません。授業展開を柔軟に考え、「道徳科授業は〜でなければならない」という固定観念を崩し、学級の児童に合った道徳科授業を考えていきたいところです。

2021/08/25

2年生「るっぺ どうしたの」(2)

2年生「るっぺ どうしたの」(2)

【自分ごととして考える】

 るっぺを悪者(ダメな子)にしないでください。前回の記事でそのような趣旨のことを述べました。誰かを安易に悪者にするような学級では、子ども達の人権感覚は養われません。道徳教育が目標とする「他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ことも難しくなります。

 そこで大切にしたいことは、「自分ごととして考える」ということです。この教材をはじめて読んだ時、子ども達は誰の視点で教材の世界に入り込むでしょうか。きっと、ぴょんたやぽんこだと想像できます。低学年の子ども達は、「自分は何もしていないのに嫌なことをされる」という意識になりがちだからです。 

 しかし、子ども達は気づいていません。るっぺがやっているような朝寝坊や荷物を落とす(ランドセルを閉め忘れる)という行動を、自分もやってしまうことがあるのを。嫌なことがあった時に砂を投げることはなくても、悪口を言ってしまったり拗ねてどこかに行ってしまったりするのを。そう、るっぺは、子ども達自身なのです


【人権教育の視点】

 この構図は、人権教育での「差別」に関する学習とよく似ています。人権教育では、差別の事実を学ぶことを通して、「自分の心の中にある差別心に気づく」ということを大切にしています。この教材においても、自分の行動をふり返ることを通して、自分の中にある不注意やわがままに気づかせることが重要になるのではないでしょうか。安易にるっぺを批判させ、いわゆる「いいこと」ばかりを発言させて終わる授業ではなく、「自分も同じようなことをしているかもしれない。でも、これからは〜。」と考えさせたいのです。だからこそ、この教材では「るっぺの視点」で考え議論させることが求められます(るっぺの視点だけという意味ではありません)。


【るっぺ=自分】

 なぜ、朝寝坊してしまうのか。起こされている時の気持ちを想像させることで、自分にも同じ経験があることに気づかせます。その上で、「なぜ、るっぺは朝寝坊をしているのか」と想像させてみたら、「寝るのが遅かった」「ゲームをしていた」「いつも起こしてもらっている」「学校に行きたくない」など、様々な理由が出てきます。実は、それらの理由は子ども達の現実かもしれません。「ルッペ=自分」として、日々の行動を内省し、自分ごととして発言をしているのです。

 靴のかかとを踏むことは、「身の回りを整える」という内容になります。これは、服装だけでなく、整理整頓も含まれるでしょう。靴のかかとは踏んでいなくても、荷物の整理はいかがでしょうか。机の中、後ろの棚、道具箱の中。違うエピソードで考えさせることで、子ども達は自分ごととして捉えるようになります。

 砂場の場面。るっぺに、いったい何があったのか。その背景をぜひ想像させてあげてください。「ほおをふくらませたまま」とあるので、きっと何か嫌なことがあったのでしょう。「友だちに向かって砂を投げる」という事実のみで考えさせるのではなく、その背景や困り感を想像させてから考えさせます。例えば、るっぺが砂を投げてしまう気持ちを理解させてから、「るっぺにどんなアドバイスしてあげる?」と尋ねると、子ども達は共感的な声をるっぺに届けるでしょう。その際には、砂を投げられて困っているぽんこの気持ちも想像させるといいでしょう。


【るっぺにアドバイスしよう】

 授業後半、「るっぺにアドバイスをする」という展開が考えられます。るっぺに伝えることを通して、自分自身に「よりよい生活のアドバイス」をさせることになります。るっぺの背景や困り感を想像していなければ、そのアドバイスはどこか他人事で厳しいものとなるでしょう。しかし、るっぺ=自分となっている学級では、アドバイスの言葉を真剣に考えます。子ども達は気づいていませんが、そのアドバイスは自分に向けられるものになるからです。アドバイスの場面は子ども達それぞれが選んでもおもしろいですね。

2021/08/24

2年生「るっぺ どうしたの」(1)

2年生「るっぺ どうしたの」(1)

【授業づくりの始まりは学習指導要領から】

 低学年のA「節度、節制」の学習指導要領の内容は以下の通りです。

「健康や安全に気を付け、物や金銭を大切にし、身の回りを整え、わがままをしないて、規則正しい生活をすること」

 ここには5つの内容が含まれていることにお気づきでしょうか。

①健康や安全に気をつける

②物や金銭を大切にする

③身の回りを整える

④わがままをしない

⑤規則正しい生活をする

 という内容に分けることができます。では、本教材「るっぺ どうしたの」は、どの内容となるでしょうか。


【3つの場面】 

 教材「るっぺ どうしたの」では、3つの場面が描かれています。一つ目の場面は、朝寝坊をしている場面、二つ目は、くつの踵を踏んで注意される場面(ランドセルの中身がこぼれる場面)、三つ目は、砂場で友達に砂を投げつけている場面です。

 この三つの場面を学習指導要領の内容に沿って整理すると、

(1)朝寝坊する場面・・・規則正しい生活をすること

(2)くつの踵を踏んで注意される場面・・・身の回りを整えること

(3)砂場で友だちに砂を投げつける場面・・・わがままをしないこと

と整理ができそうです。ちなみに、日文の教科書では、内容項目A「節度、節制」の

教材があと2つ掲載されています。それぞれ、『あぶないよ』という教材が「健康や安全に気をつけること」、『どうしてないているの』という教材が『物や金銭を大切にすること』に割り当てることができそうです。

 ですから、この3つの教材がセットとなり、内容項目A「節度、節制」を学ぶことになります。年間計画をつくる際にはこの視点も必要なとなりますので、ご注意ください。


【わがまま?】

 さて、本教材「るっぺ どうしたの」を読んでみると、違和感が生じてきます。教科書や指導書の主題は「わがままをしないで」とあります。違和感とは、本文中のるっぺの行動を「わがまま」と決めつけてしまってよいのかということです。

 例えば、砂場で友だちに砂を投げつけている場面を見てみます。実際にそのような場面に遭遇したことのある先生も多いのではないでしょうか。その場面を見て、砂を投げている児童を「わがままはやめなさい!」と決めつけてよいのでしょうか。その出来事の背景を聞かず、また、その子の困り感を知ろうとしない。そのような関わり(指導)が果たして許されるのでしょうか

 ほら、るっぺの心の声が聞こえてきませんか。「僕はわがままなんかじゃないよ。誰も僕のことをわかってくれないんだ。もう、いいよ」。

 もし、この教材のるっぺの行動を「わがままだ」と決めつけて授業を進めた時、学級の子ども達が学ぶことは、「理解しづらい行動をする子はわがままな子なんだ。みんなで注意をしたらいいんだ」ということかもしれません。

 どうか、るっぺを悪者(ダメな子)にすることはやめてあげてください。るっぺも、るっぺの家族も悲しみます。るっぺ自身の自己肯定感が育まれず、今後の健やかな成長が阻害されてしまうかもしれません。そのことを意識したうえでこの教材での授業づくりを考えていけたら、きっと新しい授業観が構築されるかもしれませんね。

 なお、教材をこのように分析することは、いわゆる「人権教育」の視点からの分析といえます。この視点も、道徳科の授業づくりの際には大切にしたいものです。