2022/06/27

授業前段階の「道徳性」の自覚 〜1年生「どうしてかな」(2)〜



 小学校1年生の教材「どうしてかな」(C規則の尊重)をもとに、「道徳性の自覚」について考えます。

 子供たちは授業前から「きまりは守らないといけない」ということを知っています。しかし、その理由について深く考えようとしたことはないかもしれません。そこで、「なぜきまりを守らないといけないの?」と尋ねてみるとどうなるでしょうか。おそらく「先生に叱られる」という意見が多いでしょう。または、「ケガをする(させてしまう)」という意見も予想できます。

 さて、「人にケガをさせるから(先生に怒られるから)、きまりを守らないといけないよね」という学びが、本当に道徳科授業でねらうべき内容なのでしょうか。道徳科の授業では「心情」に焦点をあてることで道徳的諸価値のよさを実感させることが重要だと私は思っています。

 そこで、例えば本教材では、廊下を走っている中心人物の横に描かれているうさぎの気持ちを想像させます(図1)。


(図1)うさぎの視点を通して自分の道徳性を自覚させる。

 

うさぎの気持ちを想像させると、1年生の言葉の力では「嫌な気持ち」のような発言が出てくるでしょう。そこで、その「嫌な気持ち」を学級全体で説明をさせてみます。その際、言葉での説明が難しければ、どれぐらい嫌な気持ちかをイラスト(顔の表情)で表現させることも考えられます。

 また、「掃除をしないことは、ずるい」という発言が出てくるようであれば、その「ずるい」という言葉に着目します(図2)。なぜなら、その「ずるい」と感じる心が、その児童のもつ道徳性と考えられるからです。


             (図2)児童の発言をもとに自己の道徳性を自覚させる

 児童の発言に問い返し、それを全体に広げる。児童は登場人物の視点で物事を考えていますが、その発言の中には自己の道徳性が込められているのです。また、同じ「悲しい気持ち」「嬉しい気持ち」という言葉だとしても、児童一人一人の尺度は異なるはずです。だからこそ、教師の発問や問い返しを通して、発言の中にある「気持ち」に目を向けさせ、自らの発言を分析させる(気持ちを自覚させる)ことが重要になると考えます。この対話を通しての「発言の分析」という行為こそ、自らの道徳性の自覚につながるのではないでしょうか。







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