道徳授業においての「価値の一般化」は、元文科省視学官の青木孝頼が提唱したものです。青木は、価値の一般化を「ねらいとする一定の価値の本質を子どもたちに把握させ、体得させること」としています。しかし、青木は道徳授業の欠点として「教材が常に特殊な内容の一事例である」ことを危惧しています。価値の本質を、子どもたちが「特定場面における価値」として把握してしまうおそれがあるということです。
そのうえで、元文科省教科調査官の瀬戸は、「一般化という学習過程には、段階として『特定化』とも言える作用があり、その過程を経て一般化されるものともいえる」と述べています。。
つまり、「困っている人がいたら親切にしてあげたい」という気持ちが、「うちのおばあちゃんのふとんをかけてあげよう」という特定となって思考される。このような特定な事例がいくつか発表されることによって、「ああ、そうあ、そんなところにも生かすことができるんだなぁ」という一般化を生むことになるとしています。
こうした一連の学習過程を「一般化」と呼んでおり、児童は「今まで、あるいは、今、自分はどうか」という反省から、「これからはこうしたい」という方向を求めていくことになる」ということになります。
0 件のコメント:
コメントを投稿