2022/06/15

「反応」という言葉からの決別


 『道徳教育』7月号(2022年)の中で、東京学芸大学の永田繁雄は『子どもの学びは、子供が「問い」をつくることから始まる』と論じています。そのうえで、学びは子どもの問いの連続でもあり、その効果的な流れが生まれるように、私たち教師は、やはり「問い」=「発問」を軸にしてかかわっていくことが重要であるとしています。

 さて、本誌の中で永田は、指導案を作成する際の「児童(生徒)の反応」というところに着目し、今までは「子どもの問い」に対する着眼が不十分であったと述べています。「反応」の対義語は「刺激」であり、教師の発問という刺激がなければ「反応」は引き起こされないからです。「児童(生徒)の反応」という言葉は受動的な学習観を明言しているということです。このことから、本論の最後には『私たちは、今こそ「反応」という言葉から可能な限り決別していかなくてはならない』と述べています。

 当たり前に使っていた「予想される児童の反応(発言)」という指導案の記載に、「授業(発問)は教師が作るもの」という隠れたメッセージが込められていることに私は気づいていませんでしたので、大変納得させられるものでした。


《引用参考文献》

『道徳教育 2022年7月号』(2022,明治図書)


0 件のコメント: