2022/10/25

道徳科授業の禁じ手


 道徳科授業における「タブー」「禁じ手」について、東京学芸大学の永田繁雄氏は以下のように述べています。

(以下、引用参考文献より抜粋)

子どもの学びの意識の中には、「決まりごと」や「禁じ手」はない。例えば、子どもは道徳授業に際して、「こうしなくてはいけない」「これをやってはいけない」などと考えながら学習しているだろうか。おそらくいないだろう。道徳授業の「決まりごと」「禁じ手」は、子どもではなく、教師の意識の中だけにある

(以上)

 永田氏によると、いわゆる「タブー」や「禁じ手」は、道徳授業の実施が安定しない時期に、他の教科等の指導とは一線を画した「道徳授業らしさ」を確保するという趣旨があったこと、そして、道徳授業のコンスタントな実施のため、原則を前面に出すほうが指導しやすいという側面があったということです。しかし、それによって道徳授業の「硬直化」や「形骸化」が増幅され、その柔軟性を失いがちになってしまったことも指摘しています。

 さて、永田氏は具体的にいくつかの「タブー」「禁じ手」について、具体的に解説をしています。例えば、『気持ちではなく、「なぜ』」「どうして」と発問する』というタブーについては、「なぜ」「どうして」と発問することは、主人公になり切れないから避けるべきと指導されてきたが、客観的・分析的な見方がなければ深い思考に至らないことを私達は知っている、と述べています。


《引用参考文献》

『道徳教育 2022年10月号』(2022,明治図書出版) 

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