子どもの発達に必要な「脱中心化」(ピアジュが提唱)について、他者の立場に身を置くこと、すなわち自己と他者の同一視が、脱中心化にとって不可欠のステップになると、河野(2011)は述べています。
さて、小学校6年生に「杉原千畝 ー大勢の人の命を守った外交官ー」という教材があります。この教材を扱った授業に何度も取り組んできましたが、小学生に杉原千畝の気持ちを考えさせることはとても困難であると感じていました。そうであれば、杉原千畝の気持ちを想像させるのではなく、杉原千畝の言動について、自分の立場からそのよさや難しさを考えさせることのほうがよいのではないかと考えていました。
しかし、ピアジュの「脱中心化」という視点から改めて考えてみると、小学生の子ども達が、自らの視点と異なる杉原千畝の立場に身を置き、その葛藤や決断の背景を理解しようとすることこそ、子ども達の成長につなげるための不可欠なステップなのではないかと考えます。
「偉人と呼ばれる人の心情を想像することは難しいけれど、成長のステップに不可欠なことである」という思いで、杉原千畝をはじめとする偉人教材に取り組むことが道徳科授業では大事になるのではないでしょうか。
《参考引用文献》
河野哲也『道徳を問い直す リベラリズムと教育のゆくえ』(2011,ちくま書房)
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